『Johnny Rotten, King of punk.』

2008/12/10

10月の上旬だったろうか。俺、パンク好きなんスよぉ。これでもヘソピー、ハナピーだったんス。あ、もちろん安全ピン。と和泉さんが言ったから、じゃあピストルズのビデオ今度あげるね。それで10年以上しまい込んでいた“The Great Rock’n Roll Swindle”を棚の奥から引っ張り出した。
 1・2度しか見てないそれを、これが最後と見直してみる。この映画をつくったピストルズのマネージャー、マルコム・マクラレンも本人の役でフリークの秘書を従えて登場している。
映画としての完成度はよくわからないけれど、当時のギグの様子やメンバーのインタヴューがアニメーションも交えて撮られている。
ステージの上でツバを吐き、洟をかみ、どこかフリークのような動きで歌うジョニ―・ロットン。その一方で「民主主義には、お偉方をぶっとばす権利がある。」と、ビール片手にブラックスーツでインタビュアーに悪態をつく21歳のロットンの、その静謐な聡明さに改めて感動する。

 そしてもう1本。ピストルズ1978年、最初で最後のアメリカツアーをおさめた『D・O・A』。“Swindle”が事実に見せかけたフィクションなら、こちらはピストルズを中心にしたロンドン・パンクのドキュメンタリー。そこにはピストルズの演奏の事実が…、それでも彼らは今も伝説のパンク・バンドだ。パンクのアイコン、THE SEX PISTOLS。

 ダダイズムからシュールレアリスム、更にその流れの先に位置するパンク・ムーヴメント。それはマルコム・マクラレンが周到な調査を基に意図的に巻き起こしたものだと、よく知られている。その思惑通りか、それ以上か今もネットを検索すればピストルズ、とりわけ、この頃のロットンの過激なカッコよさを賞賛する声は数多い。
 『D・O・A』で面白いのはUKではチケットを買う金すらないティーンエイジの代弁者として熱狂的な支持を得たピストルズをアメリカでは、それよりも裕福でアートなんかにも興味がありそうな層から注目されていたこと。

 メンバー全員のビザを発行しないように米政府に圧力をかける英政府。「ピストルズに音楽的価値は無いよ。これはイギリスの政治現象だ。ここにいる連中はみんなダマされているんだ。」と音楽関係者。「どうせ金でしょう…我々は勝利しますよ。」そう断言するロンドンの議員。
「パンクは処置なしね。かつてないほど退廃的で反動的な哲学だわ。子供たちは苦しんでるのよ。」諦め顔のインテリ老婦人。パンク・ファッションに身を包み「ここにいると誰の目も気にならないの!」上気した顔で叫ぶ少女。
 サン・アントニオでの公演中、ロットンの顔に客席から投げつけられたケーキが命中する。シド・ヴィシャスが、からかう男をベースで殴ったのは、その直後のことだ。
 映画も終わりの頃、インタヴュアーはドラッグで意識朦朧のシドにロットンの目的は一体何なのかと尋ねる。政府転覆だろうかと。

 ロンドン・パンクの創造主マルコム・マクラレンは、後に「最も汚いものが最も美しいものになった。」と自らの業績を讃え、同時に裁判でも争ったロットンを唯一、自分の予想をはるかに越える存在だったと告白している。

 こうして来る日も、来る日もビデオを見続けるある日、ジョニ―・ロットン改め51歳のジョン・ライドンが、どこかのコンサートでシャツを、はだけ観客に向かって叫んだと誰かのブログに見つけた。

「オレの、このビール腹を愛せ!」

 Johnny Rotten, King of punk. …あぁジョニ―全て了解。パンクとはカッコイイことでは無いのですね。パンクとは他者との差異を認めること。そして何ものも矯正しようとしないこと。
和泉さんが、俺。パンク好きなんスよぉ。と言ってから、もう何日経ったんだろう。今年も、もう暮れてゆく。

 


『浮世絵を調べる』

2007/04/03

4月3日 お預かりの浮世絵草子を金沢美大のO教授に見ていただき、次のようなことを教えていただいた。

絵師: 広貞 版元: 錦鯱堂 川音 池吉 (教授指摘: 複数の版元があるのは不思議)
極印: なし (教授指摘: なぜないのだろう)
内容: ・開くと3枚続きのものや4枚続きのものがある (教授指摘: 普通はない)・4つの演目が描かれている 演目の段も飛んでいる良いとこ取り (教授指摘: 普通はない)
表紙: 後遍 の文字が見える (教授指摘: 前遍があるはず)
筆で書かれている文字について: 嘉永五年 とあるが制作年はもっと前のはず・文字の細い線が気になる

コメント:
・浮世絵の制作過程の基礎知識を身につけよ
・売り物ではなかったのではないか
・同じ図柄の浮世絵を探す必要あり
・演目を調べる必要あり
・役者の名前を調べる必要あり(良いとこ取りの理由として1人の役者 の贔屓だった可能性あり)
・版元の内容を調べよ
・上方浮世絵についてはあまり研究が進んでいないので調べるには良い材料だと思う
・いくつかの不思議な点があるが非常に面白いものを見せていただいた印象あり
・以上の点を調べ結論よりも判断材料を集めることが必要

***
依頼者にさっそく連絡しなければ。


『半蔵門界隈』

2007/01/09

ここ数年、東京での商用は赤坂見附付近が多い。いつもは日帰りと決めている。でも、見たい美術展などがあると一泊することもある。
銀座・青山、最近では神楽坂なんていう街の名前にも胸が躍るけれど、宿泊となれば50代後半以上の男たちが幸せそうな街を選ぶ。それ位の年齢の男はもうあまり多くを望まないようだ。彼等が幸せを感じる街は酒と食事が旨くて、優しい女がいるところ。と、相場が決まっている。

大テーブルでは数人の男たちが、プロデューサーのあり方について熱い議論をしている。別のテーブルでは年配のカップルが人生論を戦わせている。そんな半蔵門の居酒屋で、“新宿海釣り愛好会”のメンバーに協力を得ているという新鮮な刺身。それをツマミに田酒の夕食を終えた後、黒塗りの車で帰宅する外国人の老紳士などを見ながら麹町付近を散歩。酔いが醒めた頃ホテルのバーに入る。
以前、業界で有名な老バーテンダーがやっていた店は、今ではホテル内のレイアウト変更で中華料理屋の奥に押しやられ、胸に大石とネームを付けた男がシェーカーを振っている。アルマニャックをカウンターで待っていると、隣に何人かの新しい客が座った。ボックスには近所の予約制の蕎麦屋の女将が座り、店内が一杯になった。
カクテルのオーダーを聞くたびに、大石さんは必ず少し考え「かしこまりました。」と忙しそうにつくり出す。その様子から名バーテンダーが去った後、ホテルマン・大石さんがこの妙なレイアウトのバーに配属され、かなりの努力をしたのだろうと、そんなことを想像した。
シェイクし、ステアして次々と何種類ものカクテルをサーブしてゆく大石さん。そして、ドライ・マティーニに彼がレモンをピールし終わった瞬間、どこからか「あなたの体の動きは天下一品だねぇ。」と、声が掛かった。まったくその通り― 私もそう掛けたかったが、もう既に声が出ない。
「お足元が危うございますよ。」大石さんの言葉に送られて部屋に帰る。

翌日、表の喫茶店で遅いモーニング。頭に包帯を巻いた80前後の男が入ってきた。「どーしたのぉ。」店の女たちが叫ぶ。「夜中に絨毯で躓いちゃってさぁ…」「床には何もしいちゃいけないのよ。」ブラシで包帯からはみ出た男の薄い髪を梳かしながら女が言った。「要介護1が来ちゃったヨォ。」「仕方無いわよ、しょうがない。」「地下鉄も電車も怖くってねぇ。」「だからこの辺りに引越して来なさいって前から言ってるでしょ。」女は髪を梳かし続けている。
もう1人の店の女はカウンターで朝食を食べている。「あたし卵ダメなのよね、昔の卵って臭かったでしょう。」横に座る客の男が新聞から顔を上げ黙って頷いた。

さて今日は赤坂見附まで歩こうか、仕事を済ませたらそのまま表参道まで歩いていこう。幸い空は晴れてるし一泊だけの私の荷物は、まだあんまり重くない。

 

『BLUE CAKEの縄文展』

2006/12/26

「よろしくね。」そう言って、みくに龍翔館の館長・上出さんと女性スタッフの方々が差し出してくれた水羊羹を受け取ってから数日経った今日。私はその水羊羹を名物としている福井県の三国町を訪れた。画家・小野忠弘が長く住み今はご遺族の好意により“小野メモリアル館”として町が運営する通称“BLUE CAKE”。ここで当店が開催した縄文展と似たような展を、とお話があり今日が2回目の打ち合わせ。

でもまずはランチ。これから館の実質的な運営にあたっていくという高倉さんと共に上出さんの車に乗り込み“Sogno-Poli” という海のそばのイタリアンに案内していただく。
誰かの別荘だった店内で、冬枯れの木立を眺めながら上出さんが自身のブログでも紹介していたセイコガ二のパスタコースをいただく。木の質感が優しい室内とテーブルセッティング・生けられた花。何もかもがセンス良く、それらをプロデュースしているらしい女性もとても魅力的。
次に案内していただいた“砂や”は森岡さんというドイツに長くお住まいだった女性が経営されているカフェでもあるギャラリー。あるニューヨーク在住の日本人アーティストを紹介し続けているのだと熱く語って下さった。「北前船の時代を再現出来ないものかしら… 今、福井では三国が一番熱いと思うの。」いくつもの夢を熱心に話す彼女を上出さんと高倉さんが微笑みながら見守っている。

ああ、なるほど、彼等の仕事はこういうことね。

人口約2万人の三国町。その中でそれぞれのやり方で文化的な活動をしている人達が多くいる。皆が胸を夢で膨らませて。そういえば私が今ここにいるのも思えば「やりたいこと一杯あるんですよ。」と、上出さんに言ったその時から始まっていたのかもしれない。

「ここにね。」と、上出さんが窓際の黒い椅子を展示台に見立てて壁の前に置いた。今日の目的地“BLUE CAKE”の内部は以前あった子供達の絵が取り外されて横15メートル高さ5メートルの真っ白い壁になっていた。向いには一面に小野忠弘の複数の作品。何度かここを訪れているはずなのに以前より壁と壁の間が広く感じられる。
「壁にも板を取り付けてここにも土器を置く予定です。」高倉さんが手を壁に添える。少し離れて見ていた私はふいに不思議な感覚に襲われた。それはまるで上田正治の砂丘シリーズの写真を眺めたときの感覚。遠近感が少し狂ったような、それから浮遊感。…カチリと自分の中のスイッチが入った。

これはきっと素晴らしい展になるだろう。いや、そうしなければ。
ここに置かれる縄文土器・小野忠弘の作品・宗左近の詩集、そしてその中を飛び交う言葉言葉言葉。
それまで彼等の背後にアートディレクターの戸田正寿さんがいらっしゃるから、あまりでしゃばってはいけないと、ずっと思うでもなく思っていたけれど … もうどうでもいいや、そんなこと。
だってSogno-Poli があるんだもの私にも、たとえ多くのdifficoltaがあったとしても。

 

『冬の夜に』

2006/11/13

詩人の伊藤三佐子さんのご家族からお礼の葉書をいただいた。

人はしばしば本当に好きなものに対してなにも言わないもので、私も伊藤さんの作品についてほとんど何も言わなかった。
伊藤さんが紡いだ言葉。それに対座し、その余韻に浸るだけで他になにもいらない気がしていた。
ただ、若くして急逝した彼女があと20年生きていたらどんな作品をつくっただろうか。夜も長くなったこの頃はそんなことを考えながら伊藤さんの作品を通じ、彼女と会話することが多い。

冬の星さりさり海を食べている

のみほすと底が私を見ていた

ひまわり だった あなたの影

さくら 空の骨が散る

耳 閉じることのない海

魂はいつか空になるつぼみ

青空が口まであふれている

―すべて伊藤三佐子―

 

『二塚長生展』

2006/11/06

富山といえばとても男女平等が進んでいる地域。今日はその富山県・高岡市出身の友禅作家・二塚長生の個展会場を訪れた。

加賀友禅は写実的な草花模様。という思い込みが強かった私にはとても新鮮な作風で、心の中が明るくなる。 
「自然から学ぶのが好きなんですよ。」と言う作家が、波・潮・滝・雲・雨・虹・光・霧… と、糸目糊置き技法で自然現象を表現した作品を前にしていると芭蕉の句が浮かんできた。

 荒海や佐渡によこたふ天の川 

つまり身近な花や鳥でなく非人称の大きな力を詠った芭蕉の、その背後にあるアミニズムをこれらの作品からも感じたのだ。

 一声の江に横たふや時鳥 

 「時おり描く鳥や魚は、風や空間の存在を強めるため。」作家の説明にも納得できる。

 作り手の多くは男性で、着る者の多くは女性と思われる加賀友禅。

 東洋の古くからの美学の中心材料だった『花・鳥』。江戸の『雪・月・花』。明治の終わり、西洋から入ってきて浪漫主義と折り合いの悪かった自然主義、そして花鳥風月。このような美意識の流れが時代、時代の女性観に影響を与えているとは考えられないだろうか。

 二塚長生の作品は、古い美学に囚われず自然のひとかけらである自分自身の内なる声に従って生きよ。と、女たちに囁いている。


『Uさんの話』

2006/11/01

Uさんと金沢市内のイタリア料理店で久しぶりの食事。
いつもUさんにあうときは、彼女が「ふぅーん…」と言ってくれるような面白い話をしようと思っているけど、某国立大学で心理学を学び裁判所の職員としても働いていた才女を楽しませることはなかなか難しい。
今回も、私が持参した『墓石倒れる』の話は彼女の『三回忌』の前に完敗。
“モミ手男”の登場から科学者のご主人と、手をとり合って逃げるノンフィクションは、百間を彷彿とさせるストーリーだった。
こんなことは、宗左近本人から聞いた『修二会の話』以来の衝撃。
Uさん、その話ぜひ書いて。誰よりも私が読みたい。

 

『ある夜の弘前』

2006/08/21

なんとなく憶えておきたい食事の風景はあるものだ。

飲み仲間のM医師がよく言ってた。美味しい食事をすることの難しさを。@悩み事がなく A健康で B好きな相手と一緒 この3つの条件を満たさないと真に美味しい食事にはならない。
だから一生の中で数えるほどの宝物のようなその日、シェフの腕が力不足だったりお酒が適温でなかったりすると、テーブルをひっくり返したくなるほど悲しい―。

で、この夜が3つの条件を満たしていたかどうかは別として、サーブされた料理とお酒は“宝物のような日”に選んでも余ると思えた。

そう感じた時にはお酒のラベルをいただいて帰りその裏に店名やメニューを書いておく。飲んだワインのブーケを思い出せば、料理の味、その日集ったメンツや店の佇まい、街の雑踏まで思い出せるから。ついでに印象に残った会話なんかもメモしておこう。

***

Osteria Enoteca DA SASINO にて
雨/自家製生ハムのサラダ・旬のトマトの冷たいスープ・猪のタリアーノ・チョコレートの温かいスフォルマティーノ ミント風味のジェラート添え
*
― レンブラント・ライティングというのがあってね
― もちろん意識してますよ 光に溢れたのが一枚ある
*
― 190℃で6分 AMEDEIのチョコレートです
― ココットは金属ですよね
― ええ どうしてもそうなりますね
*
― 山を登っていたら岩が落ちてきて 前を登る人が飛ばされそうになった それを助けようとしたら自分も飛ばされた
― 義務の反対語は愛だと思うの
― 愛なんて言葉 気恥ずかしくて使えないけど… やっぱりパッショ
  ンがないとね


『青森にて』

2006/08/21

再現されたタテ穴住居の内部には、ひんやりとした空気が沈んでいた。外は気温34℃。三内丸山遺跡の中、汗をかきながら歩いてきた体が軽くなるのがわかる。
縄文時代、人々はこんな快適な暮らしをしていたのだろうか。
土の床の細かく滑らかな凹凸を、入口からの僅かな光が土のもつ柔らかな質感を更に強調して奇妙なほど清潔に見える。まるで土、それ自体が密やかに発光しているようだ。

午前中訪れた青森県立美術館。その内部には、建築家がこの遺跡からインスピレーションを得たという土の床や壁が、館のおさえ気味のライトに柔らかく光っていた。

日本の住居からはずっと昔に排除された土の床を、湿度と室温の調整を最も重要視する公立の美術館が、こんな形で取り入れたことの意義は大きい気がする。土の材質や基礎の仕組みについては雑誌等から知ることが出来る。しかし幾つもあっただろう難関を全てクリアし、この美術館を現実につくったことに、挑戦と優しさを同時に感じる。

その印象は来場者に縄文という時代。身分の差や権力がなかった時代。つまり排除することもされることもなかった時代のイメージを穏やかに伝えているとも受け取れた。

タテ穴住居を出る。また34℃の熱風に吹きつけられて汗が流れ落ちてくる。縄文から現代に戻るその歪みが、唐突に私の頭に誰かの言葉を思い出させた。
「文章とはなんぞや。文体はあっても思想がないとダメ。」
この言葉はそのまま色々な場面・場所に置き換えられるように思う。
もちろん美術館にも。


 

『シテ島・鳥の市にて』

2006/02/19

写真の整理をしていたら、昨年の旅行で撮ったものが出てきた。
パリでの一枚。
パリは難解な街だった。ディティールは妙にクリア、でも見渡そうとすると眩暈に襲われる街。大きい塔の下を小さい塔がそぞろ歩く街。

日曜日のシテ島・鳥の市では鳥がこの街を読み解くヒントに思えた。
フランス人にとって、鳥は非常に重要らしい。家禽の呼び名がそれを証明している。

私にとって鳥は江戸的なもの。鷺娘・雁金・都鳥・百千鳥・吉原雀・鳥刺し… 舞踊の曲目がそんな連想を生むのかもしれない。

シャッターを切りながら、日本にも鳥を愛する詩人がいることを思い出した。


『樂翠亭の壁』

2006/01/24

富山県の春日温泉で雅樂倶を営む千田さんと石崎さんご兄弟。お二人のお招きで戦後のお屋敷を改築した『樂翠亭』へ伺う。こちらは“オーベルジュ”と、呼んでいいだろう。

まずは雪降り積もるお庭を眺めながらお茶を一服。部屋を移して冬の富山の幸をいただく。日本料理と仏料理を融合させたメニューの数々。
客を緊張させないサービスには「全然たいしたことないんですよ」と、謙虚に微笑むお二人の、もてなしに対する真摯な姿勢がうかがえる。
程好く酔いが回った頃、もうすぐロンドンへ留学する由衣さんが、亭内を案内して下さった。客室は何れも心地良い和風モダン。また、以前の持ち主の奥様自作のガラス絵、綿貫さんも感心したという欄間など随所に家と郷土の歴史を尊重した気配りが見える。

廊下の途中に美しい壁があった、まるで水滴が落ちた瞬間を凍らせたような塗りっぱなしの左官壁。オーナーの石崎さんが工事の途中、気に入って作業を中断させたという。なるほど、“欠損の美”ね。
その壁に滝口修造を生んだモダン・アートの地、富山県の戦後美術の一断面を見た気がした。新しいとはこうあるべきだろう。富山のモダンは県民性を反映して、優しさを礎にしている。

ぜひ、次は雅樂倶へ。アーティスト達と共に建てたリトリートを訪れてみたい。金沢への帰路はいつもより近く感じられた。

 

『コクトーの予言』

2006/01/20

いつだったか調べものがあって、図書館で古い新聞記事を漁っていたとき偶然目にしたジャン・コクトーのインタビュー。
“なぜ日本はアニメーションの輸出をしないんだろう。その伝統があるのに。”そんな趣旨の言葉だった。昭和の初めに来日した折の記事だったように記憶している。
それから約80年の歳月が流れ、現在日本のアニメーションは海外で高く評価されている。サブカルチャーと美術の世界を軽々と行き来する日本のアーティスト達も人気だ。
コクトーの先見の眼には“予言”という言葉も大げさで無い気がする。
昨年末から今年にかけて金沢市内のデパートで開催されていた『北斎と広重展』の会場でそんなことを思った。

写真:ポンピドゥー・センターよりパリの街を望む


『花のような女(ひと)』

2005/11/19

今年も年末、慌しいばかりで過ぎてゆこうとしている。このダイアリーもまったく更新できなかったなぁ。
一年の出来事を思い返しても、どれもぼんやり。しいていえば年頭の旅行くらいかしら。
大寒のパリ、美術館で掃除していた女性のこと。
セピアの肌に空色(パウダー・ブルーっていうのでしょうか)の作業着、漆黒の髪にも服と同じ色の髪留め。思わず見惚れた。
イタリア・フランス、どちらも見所は多いけれど女性を見るのも楽しみの一つだろう。
とりわけ色に対する殆ど執着といえるほどのこだわり、尊敬するのは彼女たちの無心。ただひたすら色・形そして質感を合わせようとする、そんな姿勢に誰かが見惚れる。
世界に名だたる美術館、オルセー。収蔵された美術品の数々。そのどれにも負けない無心さで、花のように彼女はいた。
もうすぐクリスマス。彼女にも私にも、みんなに良い季節でありますように。 


『ホット・チョコレート』

2005/05/13

今月から新メニューに加えたホット・チョコレートが以外に好評で嬉しい。
今年の2月、ミラノのブレラ美術館前のバールではじめて飲んでその濃厚な味に驚いた。フランスでは“ショコラ・ショー ”と呼ばれているらしいこの飲み物をとてもヨーロッパ的だと感じるのは私だけではないみたい。

嗜好品は他にも色々あるけれど、お酒・煙草は宗教的な意味合いが強くてコーヒー・紅茶はより大衆的なものに思えるなぁ。
サヴァランが「神経を緊張させる仕事、… 特に旅行者にはよろしい」と書き残し、カサノヴァがシャンパンがわりに飲むと噂され、森茉莉が賛美したチョコレート。

ミラノだけでなくフィレンツェ・ヴェネツィア・パリ、どの都市でもカカオに対する熱愛ぶりが伺えた。つまんで食べる小さなチョコレートも美味だけど、こうして飲む熱いチョコレートにはヨーロッパの宮廷文化が垣間見える。


『ひがし 山屋』

2005/01/08

20代後半、毎週のように通ったひがしの茶屋街。
“山屋”で紅茶を飲んだり“中むら”で芸妓さんの踊りを観たり。NY在住の故 中村喜春さんのお話を聴いたのは“山とみ”ではなかったかしら。新内の会のときは市長も奥様と着流しで楽しんでいらっしゃった…。

今日は“山屋”ご夫妻に夕食に招かれて久しぶりに訪れた。

はじめて食べるご主人・正人さんの特製おでん、変わらない啓子さんのお料理、どちらも予想通りとっても美味しくてビール・地下のカーヴで眠っていたカヴァへと飲み進む。

名妓・綱次はこちらの亡くなったおかあさん。全国にご贔屓がいたらしい。そのまた先代の妹・寿美子は横笛の名手として勲章を授与されている。名取り名は藤舎秀寿。
噂を聞きつけてアメリカからやって来たボストンの美術館の学芸員に啓子さんは快く蔵を公開し、着物や帯・写真等を貸し出した。

伝統の、行政では守りきれない部分を守り、こんなふうに紹介している人達がいる。古い建物ゆえの苦労もあるだろう、でもそれに何とか折り合いをつけてその中で生活をする。それがこの夫婦が選んだスタイル。

食事が終わると正人さんがショットグラスでCELTICをストレートで勧めてくださった。舐めるようにして飲むとMACALLANと同じ、芳醇で深いオロロソ香が口一杯に広がる。長い長い味わいの余韻。

街がどんなに変わっても“山屋”は変わらない。部屋に飾られた絵も家具もこの家が建てられた1820年当時からそこにあるように皆、居心地よさそうにしている。


『開演を待つ』

2004/10/29

弟夫婦に誘われて“一石仙人”を観にきた。アインシュタインの理論を題材にした新作能。と、いっても決まり事はきっちり守ってあって、5歳の頃からお仕舞いを習っている弟嫁の珠美さんに言わせると「きわめて古典的」らしい。謡も楽しみ。昔から邦楽全般好きだけど謡にはあまり縁がなかったなぁ。
邦楽のことを考えるとき思い出すのは友人Nの話だ。NがNYの美術館で見た手水鉢のようなものから水が滴り落ちる作品(?)で聴いたリズム。ポタン…ポタン…ポタン ではなく ポタン…ポタポタ…ポタン でもなく
ポタン...........ポタ...................................ポタン...という水の音にしばし寛ぎ、「こんな不規則さをノイズではなく情緒的なリズムと捕らえる日本人の感覚を非常に稀だと自覚した。」と話してくれたっけ。
それぞれの民族が持っているリズムがあるとしたら日本のそれは独自ってことね。その上に成立する舞踊も。幕末を境に邦楽は特別なものになってしまったけれど…。
そんなこと考えながら開演を待っている。

 

『10月9日 雨』

2004/10/21

立木祥一郎という名前を知ったのは10年くらい前。芸術家・故小野忠弘氏が「立木くんがね 立木くんがね」と、幼い少年が尊敬する近所のお兄ちゃんを慕うようにその名前を呼んでいたのが昨日のことのようだ。私も含め、周囲の人間に次々と絶交を叩きつけることで有名な小野氏だったが当時まだ31・2歳の若い学芸員に80半ばの老芸術家は強く惹かれていた。

その立木祥一郎氏、当ギャラリーに再来廊。

約一年ぶりの再会だが私たちは挨拶もせず、仕事に関する思いつく限りの話題を際限なく交わす。会話の中で時折、彼は私のささやかな希望や願いを生真面目に打ち砕き、私はその度に新しい視点を得る。
私がアートの世界から脱落する可能性は極めて高く、彼が誰かの罠に落ちて失脚することも有り得る。だけどそんなこと気にする暇もなく二人とも自分自身に追われているのだ。

やがて時が過ぎ、彼は彼の仲間の元に帰った。「生き残れ」の一言を私に残して。

小野氏は結局最後まで「立木くんがね 立木くんがね」と、言いながら死んだ。彼の電話番号を自室の机の上に残して。




 

『富山県水墨画美術館の春草』

2004/09/07

サライでも紹介された水墨画美術館に『院展を築いた4人の巨匠展』を見に行く。で、すっかり菱田春草のファンになった。一目惚れをフランスでは“雷の一撃”と、いうそうだけど正にそんな感じ。学生時代に描いた慈姑のデッサンにもパンキッシュなものを感じる。
春草の画にはこちらの理性を失わせる何かがある。似たような印象のものを他に挙げてみると…、例えば法隆寺。口では言えない悪いことを沢山しておきながら、微塵も心を揺らさずどこまでも清楚に微笑む貴婦人のような寺。そんな風に感じるのは私だけかしら。今昔物語の女たち。
長唄・娘道成寺で白拍子花子が恋人の裏切りを思い出し、蛇に変わる瞬間。
やっぱりこんなのが私の好みなのね。上品さと優雅さの底に狂気を孕んだものが。でも、春草の画の何を見て私はそう思うのか。モチーフ?構図?色?うーん。今はまだ解らないなぁ。
直感ばかりで理論に弱い自分を再認識させてくれた春草だった。

 

『黒部峡谷にて』

2004/08/23

8月の企画、三浦泉展の合間を縫って気分転換で黒部にドライブ。トロッコ電車から黒部川を眺めると先日の大雨で流された巨木が点々と残されている。終点の欅平で降りるも国土交通省のおじさんたちが大勢で破損した道路を直していて封鎖。仕方ない、鐘釣まで戻って温泉が湧き出ている河原にでも行こうか。
そして鐘釣の河原に下りてみると…あっ、こっこれはっ! 小野先生の作品じゃないのー? 川の巨大な岩に何本も流木が引っかかり、まるでモニュメントみたい。観光客たちが嬉しそうにその前で記念撮影している。
はい先生、10月の小野忠弘展がんばります。もうそろそろ準備に取り掛かろう。


『軽井沢での句会』

2004/07/12

2ヶ月に一度の句会。いつもは東京だけど今回は気分を変えて軽井沢。
場所につられて一年ぶりに参加する。会場に行く途中、旧軽の脇田和美術館に立ち寄った。脇田家は元々加賀藩に仕えた家だから金沢に住む私としては興味がある。上品で洒落た画風を見ると国立美術館に所蔵され、女性ファンが多いのも頷ける。緑溢れる中庭には鳥籠が木に幾つか吊るされていて鳥を愛する画家の人となりがうかがえた。

さて、軽井沢銀座の蕎麦屋。鴨などの料理をつまみにお酒を飲みながら会が始まる。いつもの通り初っ端から宗先生はぬるかん。お元気そうだ。
「つまんない感想ね!」とか「なんだこれ。取り合わせの拙い見本だね。」などと温かい声が飛び交う中無事、句会終了。「2次会は三善先生の山荘ですよー。」との声に私は慌てて飲み残したビールを飲んだけれど、この時はまだ、18時間後に同じこの店で今夜以上の大宴会に参加するとは知る由も無かった。
あぁ、脇田和が消えてゆく。


『ゼウスの国から帰る』

2004/06/26

サンタモニカの海岸を最後にアメリカから帰る。関空に着いて“はるか”の車窓からぼんやり大阪の町並みを眺める。夕方の暗い空から小雨が降っている。見慣れた日本の風景が今までと違って見えるのは気のせいかしら…日本ってこんな国だったっけ。なんだかアメリカに似ている。


『ノートン・サイモン美術館のドガ』

2004/06/24

旅も後半になり、さすがに少し疲れて大きな美術館はちょっと辛いなぁ。と、思っていたらパサディナのノートン・サイモン美術館に連れてってもらった。規模は比較的小さいながら一人の収集家のコレクションを見るのは作品の楽しみプラス私生活の一端を覗くような密かな楽しみがある。ロダンの“カレーの市民”を見ながら入館すると、メトロポリタン美術館にもあるドガ作のバレエ衣装を着た踊り子のブロンズがあった。ノートンさんはドガの収集家でもあるのね。ドガだけの部屋、ドガのブロンズも沢山ある。ショップにもドガの本が何種類もある。
もちろんセザンヌやピカソなど巨匠の傑作もいっぱいあるけど…。
ドガの展覧会ってあまり日本では見られない気がする。北斎に大きな影響を受けていた作家だから、日本でやるなら“ドガと北斎展”なんていうのをどこかの美術館が企画してくれないかしら。
それにしてもスーツ姿の監視員が多いなぁ。こちらにきてアロハとサンダルの人間ばっかり見てきたからすごく新鮮。スーツの似合うノートン・サイモン美術館だった。


『ベラッジオのモネ展』

2004/06/22

北イタリアの湖畔がコンセプトのラスベガスの高級ホテル、ベラッジオでモネ展が開催されていた。よく知られている通り、大規模な噴水アトラクション、大量の水を舞台に出現させて生命の誕生を描いたショー“O”で有名なホテル。ガラス張りの室内にも花に囲まれた噴水が造られている。水と光がテーマなのね。
そんな場所にモネ展とは…LAから5時間の、延々砂漠が続く中に忽然と現れた街、ラスベガスで見るモネは、なんだか妙に懐かしく、水を求める人間の本能に直接訴えてくる。こんな試みは公立の美術館でも出来ない気がした。


『ゲティ・センターのルノアール』

2004/06/18

「私、ここの絵の中でルノアールが一番好き。」と、良美さんが言った。パンフレットによるとここサンタモニカのゲティ・センターでは天窓からの天空光をコンピューター管理して照明にしているらしい。季節や時刻に合わせて人工照明も併用し、来場者がかつての画家と同じ光の下で鑑賞できるようにとの配慮から。
その為か名画の中でもルノアールの作品が際立って見える。“Albert Cahen d’Anvers”のベルベットらしい服地の色と瞳の色、壁紙に描かれた植物・椅子の模様がそれぞれ調和しながら互いを引き立たせ、宝石のような深い光を放っていて画家の意図が良くわかる。私はルノアールの良い鑑賞者ではないけど見惚れてしまった。でもレンブラントとかバロックの作品にはこの光は少し可哀想。ゲティ・センターの印象派の作品たちはとても幸せそうだ。

写真:ゲティー・センター見学案内より


『リストランテ DORAGO』

2004/06/17

有名人も訪れるらしいビバリー・ヒルズのイタリアン、DORAGOでは木目のシックな店内に明るい抽象画が何枚も連作で飾られていた。ベースのオレンジが暗い店内に浮かび上がりイタリアらしいムードを演出している。オレンジはイタリア人の好む色。黄色っぽい大地に良く合うからかしら。でもここの大地は赤茶けているからDORAGOの絵はイタリアのそれよりも濃いオレンジ。絵と花で飾られた店内を大柄なウエイター達が大声で注文をとり、冗談を飛ばしながら歩き回っている。
私たちはトスカーナの赤とそれに合う前菜・ニョッキやステーキを注文した。満席の客たちもゆっくりメニューを決めている。勧められたキアンティは充分飲み頃だった。


『ゼウスの国』

2004/06/17

アメリカのLAに行く。移動中の飛行機の中で読んだ本にゲーテの『プロメテウスの歌』が、載っていた。“ゼウスよ、お前の空を 雲霧でおおえ、薊の花をむしる子供のように 樫の木や山の頂に電雷を投げつけてお前は力試しをするがよい。”という書き出しで始まるその詩にいたく感動し、眠って起きて機内食を食べて、また眠って起きるとそこはアメリカだった。ぼんやりした頭にまだゲーテが残っていて、生まれて初めて見るアメリカは私にとってすっかり『ゼウスの国』になった。


『ダダの女(ひと)』

2004/06/10

今日はグループホームにいるおばあちゃんのところへ久しぶりに行った。家でおばあちゃんが「金も無ければ死にたくも無し」とか、「死ぬほど楽は無いものを生きて働くたわけ者」とか、日に50回近く繰り返していたことも今となっては懐かしいわ。
いつものことだけど、私が百人一首の上の句を読むとおばあちゃんが下の句を読む。ほとんど暗記している。帰りに「いにしえの…」と声を掛けると「いにしえの奈良の都の八重桜 そこのけそこのけお馬が通る」と、返してきた。
若い頃はモラリストだったのに、今では国や家族から切り離され自分の意識からの統制も逃れて、直感的で感情的で…とにかく立派なダダイストになった。やっぱり長生きはしてみるものね。


『オリーブ』

2004/06/03

今日もオリーブの塩漬けを買ってしまった。最近なんでこんなにオリーブ好きになったんだろう。元々、辛口白のツマミとしては気に入ってたけどおやつにまで食べるとはね。
でもノアが洪水引いたかどうか調べるのに飛ばした鳩がくわえてきたのがオリーブの若葉なんだから人間との関わりは深いのよね。きっと。
そういえば、パルテノン神殿の図柄にもアテナ女神が海神ポセイドンと争う場面があったっけ。そのときアテナが出現させたのがオリーブの樹、ポセイドンが塩水池。アテナイ市民がオリーブを選んで勝者が決まったって解説にあったなぁ。アテナイ市民のジャッジは正しいよね。私もオリーブに一票。
アダムとイブが前を隠したのも…あ、あれはイチジクの葉か。うーん。やっぱりコニャックには乾燥イチジクだよね。あぁ… またツマミに戻ってしまった。