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『人間迷路 ― 川井健司展覧会に行く』
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2010/10/18
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思い立って三国へ…もちろん龍飛館の天井館長からも度々、伺っていた川井さんの展覧会が目的。先ずは坂本さんの仕事場に、おじゃますると既に作家本人も待っていて下さっていた。坂本さんに、お昼ご飯をごちそうになり川井さんと会場のONO MEMORIALへ。 画家・故小野忠弘の孫にあたる川井さんの作家としてのキャリアはその祖父が亡くなった後から始まる。映画の勉強から転身した彼は在学するアメリカの大学で原爆を題材にした作品を発表。もちろん大騒ぎになり作品は半分が強制廃棄。このまま学業を続けたいなら“二度とこのような作品はつくりません”と書かれた書類にサインしろと大学側に迫られる。もちろん拒否、結果放校。 私が初めて彼の作品を見たのは京橋の東邦画廊だった。「おやすみ日本」と題された、その時の展覧会で見た針金で編まれた人体が、ここ三国でも展示されている。白い空間に吊るされた作品、暗い土間に吊るされた作品。以前、小野氏がアトリエとしても使っていた部屋には何枚ものドローイングが、やはり吊るされている。吊るされた不安定さが人間存在の不安定さと重なる。 ここで彼は期間中ずっと滞在している。寝泊まりには快適で無い場所でなぜ?と聴くと来場者と話がしたい。― 悲しみと苦しみこそ人生と考える彼の作品に出会い、自傷行為が緩和された少女の話をしてくれた。― 複数の身内・友人の早すぎる死を今も受け止めようとし、まだ未消化の彼にとり、この展覧会は一つの決着をつける場所だという。 展覧会は11月28日まで、それまで彼はパフォーマンスやワークショップをしながら小野忠弘が残した本を読んでいる。
『人間迷路』川井健司展覧会 場所:福井県坂井市三国町 ONO MEMORIAL お問合わせ:みくに龍翔館 TEL0776-82-5666
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『田上(たのうえ)さんからの案内』
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2010/10/15
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大阪在住の硝子作家・田上惠美子さんに10月16日から奈良市のギャラリーでの個展のご案内をいただく。蜻蛉玉展と題されたDMに今まで勾玉ばかり思っていた偏狭な考えを砕かれる。 同封された用紙にはライフワークの源氏物語から題材をとった作品― 横笛・空蝉・桐壺 等々、美しい玉の写真。 そのどれもが儚くて、源氏物語に代表される日本の女のイメージと重なって見える。 「…インターネッツトにて拝見し、ご連絡差し上げた次第です。…」と、律儀に添えられた手紙から、お人柄を想像するのも楽しい。
『田上惠美子 蜻蛉玉展』―すきとおるいのち― 2010.10.16(土) 〜 10.27(水) 奈良市学園南1-7-6 ギャラリーきのわ
田上さん、お知らせありがとうございました。種々の理由から今回、伺うことは叶いませんが展のご成功をお祈りしています。 いつか、お目にかかれる日を。
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『文学のはじまり』
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2010/06/20
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雀の巣から雛が落とされて何度、戻しても落とされるから自然には介入しない派の私もさすがに揺らぐ。それで現在、病気療養中の彫刻家の今さんにメールを送る。 少年の頃、何度も雛を助けた経験のある今さんの病院からの指示を仰ぎながら餌を与えると、よく食べる。 家に連れて帰り早朝から世話をするも体調が急変して死んでしまった。 今さんに報告すると『…命の価値と意味について、何を思うや?…』と“雑感”と題されたメールが送られてきて、その中に自作の句があった。『…このうたが、あの雀の墓であり生きていた証拠ですね…』と、こちらからも返信。 1個の死を見つめ、何も出来ない我が身の無力さに言葉が出てくる ― ええ、これこそ文学のはじまり。そしてまた8月が来る。 雀の亡骸を手に、外に出ると玄関先に蛇が来ていた。夏至の日の出来事。
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『春はお別れの季節』
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2010/04/19
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エンポリオの上で猫と一緒に住んでいたヨウコさんが大阪に転勤したらしい。まだ少女の面影残る女と猫、春のお別れ、この3つの取り合わせが妙に合っていてニヤリとした。 まだ冬の頃「これを書いたら刺されると、知っていても書かずにはいられないから書いた。そんな記事が一生に一度でも書ければ…」と気真面目で涙もろい記者と話したことを思い出す。
大姉、大阪の桜はいかがでした?私は最近、中棹に熱中しています。wikiで読んだことだけど中棹に張る皮で、一番の上物は初交尾で雄猫に引っ掻かれた傷の治った、ある程度厚みのある雌猫の皮。それが最も響きが良いそうですよ。 あなたとは、またいつかお会いしたい。花散り人々が立ち去った後も、なお静かに佇む二本の桜のように交信したいものです。
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『大寒まえ』
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2010/01/15
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今年の雪は例年より深く、店の前の雪はもう私の身の丈より高くなった。 開店を待ちわびる鳥たちにヒマワリの種をやり、日課の雪かきを終えるとオーブンに火を入れ春からメニューに加える予定の焼き菓子をつくり始める。 秋にパリで食べた食感を思い出しながら、やはりつくるのなら口に入れた瞬間過去の記憶が甦るようなものを。と、意気込んでみたけれど何度焼いても出来上がったそれは理想には程遠い。 雪に覆われた店内で一人、オーブンの炎を見つめる。
雪のしたより燃ゆるもの かぜに乗り来て いつしらずひかりゆく 春秋ふかめ燃ゆるもの −室生犀星『抒情小曲集』より−
まだ大寒まえ、雪はどこまで深くなるだろう。春まだ遠く、私の焼き菓子も当分完成しそうにない。
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『シェイクスピアの男と女 1』
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2010/01/13
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吹きガラス作家・光島和子さんのガラスのジュエリーと舞台美術家・松岡 泉さんの造ったボックス・アートの展覧会“シェイクスピアの男と女”。 その作品の一部が富山県の雅樂倶での展を終え、こちらに運び込まれたのが今月7日。 今年6月に、当画廊で巡回展を開催するための一足早い到着。 運び込まれた作品の梱包を見ながら緊張と楽しさで心定まらない日々を、おくっていた。 だけど今日『フィガロジャポンオフィシャルサイト』で詩人の木部与巴仁さんのコラムをみつける。 http://column.madamefigaro.jp/culture/issatsu/post-358.html
題して、―ガラス作家と舞台美術家によるガラスジュエリー・アート。― 『絵がそうだろうか。写真がそうだろうか。彫刻がそうだろうか。停まった芸術というものがある。それ自体の時間は流れない。音楽や演劇や舞踊は動いている、流れる。時間芸術である。詩や小説は? 活字も本も動かないから停まっているが、読む者の頭の中で動くものがある。絵や写真や彫刻もまた、停まっていながら観る者の頭の中、心の中、想像力に働きかけて、無限の時間に私たちを誘う。』
という美しい書き出しで始まるコラムを拝読しながら“批評とは創作なのだ”という誰かの言葉を思い出した。私も心定まらない日々を早く終わらせなければ。不安よりも高く志を持ち。
写真:昨年末リバーリトリート雅樂倶の美術館・4th MUSEUMで開催された“シェイクスピアの男と女”展。会場風景。
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『クレーの焼きリンゴ→タルト・タタン』
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2010/01/06
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年末にいただいたリンゴを使って何かつくろう。『クレーの食卓』って本に焼きリンゴのレシピがあったっけ…。 芯をくり抜いて、そこに砂糖とバター・シナモン・ハチミツを詰めてオーブンで40分。出来上がった焼きリンゴをアール・グレイでいただく。 雪を眺めながら食べる熱いリンゴ。おいしい…でも,もう一味欲しい。ラムを落とせばどうだろう。いや、ブランデーだろうか、ブランデーならやはりコニャックだろうかアルマニャックではどうだろう、じゃあいっそカルバドス…リンゴで合わせすぎ?
真剣に悩むこと一時間、でも決められない。タカヤナギに電話する。 ― どれが一番、焼きリンゴに合うと思う? ― 酒なんかいらないと思うけどな。だいたい皮がついてちゃ美味くねえだろ。 ― でも皮がなくっちゃ… ― 皮を剥いたリンゴをクシガタに …… ぎゅうぎゅうに敷き詰めて …… キャラメリゼ …… ひっくり返して ………… これがタルト・タタンだ!
なんだかわからない内に気楽につくれるのが楽しかった焼きリンゴがタルト・タタンに化けてしまった。じゃあ今度はタルト・タタンをつくって…つくれるだろうか。
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『月と若冲』
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2009/12/01
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“若冲ワンダーランド”を、みに日帰りで甲賀のMIHO MUSEUM。 以前“小林秀雄展”で、ここを訪れた、あれは何年前の企画だったろう。 あれから新しい高速道路も出来たりして以前ほど山の奥の美術館という印象は薄くなったものの、やはり山の中であることに変わりはない。 その山の中で対面する若冲は‥‥言葉にすると野暮になる。 最近、発見された「象と鯨図屏風」を中心に選ばれた水墨画の数々は1点として素通り出来るものはない。 江戸中期、京都・宇治の黄檗山万福寺の僧・売茶翁を中心に日本のシュトゥルム・ウント・ドラングといえる時代があったと昔、本で読んだ。 私が若冲と対座しながら想うのは売茶翁、その人。 夢心地でMUSEUMを出ると東の空に月が出ていた。明日は満月。いや望月。
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『雅樂倶のシェイクスピア』
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2009/10/31
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春日温泉のリバーりトリート雅樂倶で開催されている光島和子さんの『シェイクスピアの男と女』。その初日に光島さん本人も、いらっしゃると聞いて雅樂倶に伺う。 『シェイクスピアの男と女展』は吹きガラス作家・光島さんのガラスのジュエリーを舞台美術家・松岡 泉さんがつくった箱に入れて展示・販売するという展覧会。 2005年から、お二人がライフワークとして続けていらっしゃった。今年は、その作品集が出版された記念の展でもある。 実際に拝見するのは初めてだったが文学と美術の展覧会で、こんなにも成功した例は見たことがない。 「この展を見てシェイクスピアを読みたくなりました。って言ってくださった若い男性がいたの、とっても嬉しかった。」と光島さん。 雅樂倶の食事・お部屋の素晴らしさはいうまでもなく、光島さんを中心に集まった皆さんと一緒に飲んで夜は更けた。結局、打ち合わせは深夜の露天風呂とスパで…。 雅樂倶の『シェイクスピアの男と女展』は12月26日まで開催。ぜひ1泊して展覧会も雅樂倶も楽しむことを、お薦めしたい。
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『イタリアのシャツ』
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2009/10/25
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イタリアのお土産。日頃お世話になっている男性へはシャツを買って帰ることが多い。“運よくサイズがピッタリ合えば”彼らはそのシャツから多くのことを読み取る…こともある。 イタリア人の、人体の線に対する執着に驚嘆し「多分イタリアのシャツ職人は美術か建築の心得があるんだろう」 そんなコメントを述べてくれた人物が何人かいる。彼らが皆クリエイティブの仕事に就いていることは偶然の一致だろうか。
“可愛い子には旅をさせよ” 私は旅から帰り…可愛い子は、どうやら旅に出るそうで。
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『帰路につく』
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2009/10/22
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乗り込んだANAの機内でツアーの全日程を思い返す。全体に良いツアーだった気がする。今回の参加者は60代以上の何度もヨーロッパを訪れている方達だけど内容には概ね満足いただけたようだ。何よりも荷物を持たない。食事が美味しい。時差のダメージを、あまり受けないことが良かった。 帰ったら商品としてのツアー・パンフレットを作成しなければならない。アートとウエディングこの二つの提案。この冬も、なんだか忙しくなりそう。 写真:フィレンツェのウェディングプランナー『クローバー』がホテルの部屋に用意してくれたメッセージカードと、お祝いのお菓子。
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『パリの空港にて』
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2009/10/21
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今日は、いよいよ最終日。午後三時頃まで買い物にいそしんで慌ただしいまま空港に着く。セキュリティチェックを無事通過したと思ったのに同行者に持ってもらった私のバッグがひっかかった。 困っていたら「何か問題がありましたか」フランス人の、しかしルックスと言葉は全くのオタクっぽい日本人大学生風の青年が助けてくれた。長い筒を持っているのをみると建築か工業デザインの仕事か勉強でも、しているんだろうか…。 その後、免税店でそのオタクっぽいフランス人青年が女性ものの香水を選んでいるのを見かけた途端、なんだか急にパリが名残り惜しくなった―。
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『パリのジョット』
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2009/10/20
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昨日パリに着いて参加者の強い希望で向かったルーブル美術館。もっと他に行きたい所があるのに…と思いながらも館に着く。するとそこにはジョットが待っていてくれた。 複雑さが魅力のパリでジョットの素直さが、ひときわ輝いて見えた。
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『マルコ・ポーロ国際空港にて』
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2009/10/19
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1泊だけのヴェネツィアを惜しむ暇もなくマルコ・ポーロ国際空港。荷物を預けセキュリティチェックを済ませ免税店の並ぶエリアでカプチーノを飲む。 空港の長い待ち時間では誰かへのお土産にフレグランスを選ぶのが楽しい。忙しい日常生活では、なかなか持てない時間だ。 これから搭乗する飛行機はエールフランス。乗り込んだ瞬間「ボンジュール、マダム。」と挨拶されて、そこはもうフランスのはず。フェラーリ・ストアでトワレを選びながら、もう少しイタリアを惜しもう。
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『サンマルコの水たまり』
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2009/10/18
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4泊したフィレンツェに別れを告げてヴェネツィアに移動する。 水上タクシーでボンベキアッティーホテルにチェックイン。昼食は運河に開かれたホテルのレストラン。魚貝のサラダやボンゴレのパスタが美味しい。満腹を押して食べたイチゴとジェラートと7分たての生クリームのデザートが実に美味で驚いた。これが一般的なイタリアの生クリームですよ。という石居さんのコメントに更に驚く。 食後の散歩に出たサンマルコ広場には昨日、広場を覆っていたという海水が水溜りになって点々と残っている。水の中には大鐘楼が逆さになって建っていた。
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『フィレンツェでのウェディング』
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2009/10/17
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いよいよ今日はこの旅のメイン。フィレンツェでのウェデイング。昨日チンクエ・テッレで何キロも歩き体を動かし参加者の体調も、時差の調整も良いペースのようだ。 朝8時半に日本人女性のヘアメイクが到着。ホテルの応接室で写真撮影。撮影はもちろんイタリア人のプロカメラマン。 その後、セント・ジェームス教会に移動、それからそれから…日頃はオペラに出演しているという女性歌手の美しすぎるアベ・マリア、バラのフラワーシャワー。ガーデンでの牧師さん主催の乾杯に駆けつけてくれた石居さんのご主人・マウリッィオさんと息子のダビデ君。ミケランジェロ広場での撮影、微笑ましく見守る観光客たち…夢のようでありながら手づくりの温かい時間が過ぎていく。 気がつくとメディチ家の別荘を見下ろす小高い山のレストラン“DA DELFINA”で、みんなでフィレンツェ風ステーキを食べていた。少し泣いて、それから笑って。それはワインだけのせいでもないようで…。
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『チンクエ・テッレの一日』
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2009/10/16
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今日はミニバンでフィレンツェからチンクエ・テッレへ日帰り旅行。途中ガレリオ・ガリレイ聖誕記念で沸くピサの斜塔に立ち寄る。観光バスで来ると駐車場から1キロも歩かなればならない斜塔へも8人乗りのミニバンなら目と鼻の先まで乗って行ける。 美しい聖堂を見学していると一人の牧師さんが素晴らしいバリトンで歌って下さった。声が何重ものエコーになって聞こえる。 ここの建築はどうなっているんだろう?何もわからないけど、わからないから純粋に感動した。
世界遺産でもある5つの趣の違う漁村で成るエリア。そんなチンクエ・テッレ行きの波止場で昼食。魚貝料理のあまりの美味しさに、ここに住みたいとさえ思う。船に30分ほど乗り村に上陸して海岸線・“恋人たちの小道”を歩く。青い青いリグーリア海の上ではカモメだってどこより白い。
写真:チンクエ・テッレの昔の暮らしを伝えるポスター
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『tusucan's の工場』
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2009/10/15
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みんなが市内観光をしているスキに石居さんに連れられサンタ・マリア・ノヴェッラ駅から電車で取引先のtusucan's の工場へ向かう。ここの社名は 日本では英語読みで“タスカンズ”と発音されているけれどイタリア語の発音では“ツゥスカン”。こちらの響きの方がずっと好き。 トレードマークの2尾の魚の由来を尋ねると「魚座の月に設立したから」と、案内してくれたジョバンニ氏。 まだ生産シーズン前で人影まばらな工場。それでもパーツを断裁する機械を動かして見せてくれた。 その後はtusucan's の本社へ。赤い椅子のお洒落な会議室。商品の中に置かれた、お得意先にふるまわれる何本ものグラッパ&リキュール。 イタリアの会社は、どこもこんなに自由なんだろうか。
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『微笑みのサンタ・マリア』
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2009/10/14
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“可愛い子には旅をさせよ” しかし、その可愛い子が一向に旅立つ気配がないのなら一人ぼっちにして、こちらが旅に出ればいい。
朝7時20分の小松空港でトランクを預けて成田へ、フランクフルトの空港で黒ビールを1本飲んでオレンジ色の夜景を辿りながら午後10時半のフィレンツェに降りると石居さんが、にこやかに出迎えてくれた。私たちより一足先にシベリアから降りてきたという寒気団の中、ミニバンをホテルに走らせる。 チェックインして部屋に入り小松以来、手にしなかった重いトランクを空け使い慣れないニコンを取り出し部屋のカーテンを開くと―サンタ・マリア・ノヴェッラ教会が月に濡れて微笑んでいた。
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『ナイト・キャップのブラックベリー』
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2009/10/08
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リキュールグラス一杯の寝酒が最近のお気に入り。門脇さん自家製のブラックベリー酒をいただいてからナイト・キャップが習慣になった。ほんの少し身体を温め精神をほぐして眠りにつく。 お酒といえば同人誌で“酔い”がテーマだったとき『傷に対しての麻薬酒のように酒に接するのではなく、引き裂かれて静かに悶絶しながら飲むのが酒に対する接し方であると、最近久しぶりに日本酒1本空けて四日酔いした自分に告げる。』と書いていたのは、のぐちくんだった。 美しき酒豪にして愛煙家の彼女も最近は自身の事情で酒も煙草も、ひかえているだろうか。 ほろ酔いのまま今夜は彼女の詩を読みながら寝よう。
私に刺され 夜のかけら 葉脈にささる 重なる光 いくつもの朝
夜に埋もれて 私の体温 私の気配 私の輪郭 闇 燃やせば 指先に炎灯して
葉脈
『無題』 のぐちくん ―左岸40号より抜粋―
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『博物館の所蔵品』
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2009/10/06
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久しぶりに富山県水墨画美術館に向かう。今年は開館10周年記念とあって京都国立博物館の所蔵品展『日本の美 国宝との出会い』が開催されている。 博物館の美術展は素晴らしいに決まっている。と、いう私の思い込みは思い起こせば2007年に東京国立博物館の特別展。「レオナルド・ダ・ヴィンチ −天才の実像」の会場を訪れた時から殆ど信仰に近いものに、なってしまっている。 その思い込みのまま富山に辿り着くと…ヤッパリ! 平安の屏風・鎌倉の阿弥陀図、宗達の水禽図に空海の巻物。桃山の阿国屏風・若冲の掛け軸…夢中でガラスに顔を近づけて見入っていたら手と鼻がガラスに触れて係員の方に注意されてしまった。 そういえば8月に大腸菌の、ぬいぐるみを持って当画廊にお越し下さった国立科学博物館の学芸員・真鍋さんは、どうしていらっしゃるだろうか。
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『葡萄畑の中のレストラン3』
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2009/10/01
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まだ私が車の免許を取りたての頃、よく友人たちとドライブがてらカフェめぐりをした。もちろんここ、ぶどうの木にも来てケーキを食べた。当時、高校生のいとこのケンちゃんは「こんな美味しいケーキ食べたことない」と言った。どこまで続いているのか解らないくらい広がる葡萄畑を眺めながら、いろんな相手と色んな話をした。月5000円位の、お小遣いだった私たちには、それはとても贅沢なひと時だった。 その葡萄畑がプロヴァンスまで続いて行くとは誰が想像しただろう。 食後の、お茶がすむと本さんは隠し扉の向こうの地下のカーヴを案内して下さった。自家製の梅酒・その他の有名・無名のワインと一緒にロマネコンティが3本眠っていた。 外に出ると午後10時の夜でライトアップされた棚に豊かに実った葡萄が、どこまでも続いていた。
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『葡萄畑の中のレストラン2』
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2009/09/30
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予約より遅れること20分。葡萄畑の中のレストランに到着、藤井肇さんの教え子でもあった本さんに出迎えていただく。先ずは若いアーティストの活動に理解下さったことへの、お礼。 それから『ぶどうの木』のフレンチを一緒にいただきながら会社経営の歴史やエピソードなどをうかがう。時折かかってくる社員の方からの電話にも優しくフレンドリーに話す姿が印象的。 プロヴァンスにある葡萄園のこと、国に帰っている外国人の社員たちから聞く国際情勢のこと、政治と商売の関係について。 お話の上手さに引き込まれいつの間にか時間が経つ。
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『葡萄畑の中のレストラン1』
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2009/09/29
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8月の展覧会の打ち上げ。藤井・奥田ご夫妻に誘っていただき秋の食事会。目指すは葡萄畑の中にあるレストラン。でもその前に、と渤海使が渡ってきた港と記す石碑のある場所に連れて行ってもらう。 奈良時代。この、かほくの海に鯨が泳ぎ渤海からの使者がやって来てたなんて…MIHOミュージアムの若冲展のポスターを思い出す。 それからイオンかほくの中を見学。通路が広く天井が高いモール内に驚く。昔、LAからラスベガスに行く途中、立ち寄った砂漠の中のモールみたい。多分ここが今、県内では一番大きなショッピングモールだろう。ここでクリスマスの頃、手鹿さんの作品“ハギミング”が設置される。 その時はまた見に来なければ…。
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『彼岸過ぎ』
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2009/09/26
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秋の気配とはいえ、まだ藹藹とした山。腹に突き立てられた包丁。それらを出会わせたのは、なに? 棺。赤いレーシングチームの旗。それらを出会わせたのはなに? 闇に浮ぶ葬儀場。3台の赤いNSX。それらを出会わせたのはなに? シュールレアリストの作品のように、決して出会わないものを出会わせたもの、それはなに? 昔の話に笑って、それから溜め息ついて、結局なにも解らないまま私たちは秋の夜を共に過ごした。 真夜中。さくらが携帯の向こうで、だけど、と言った。 「だけどアタシたち、ヤツが死ぬほど辛いことがあったってこと決して忘れちゃいけないと思うんよ。」 彼岸過ぎて秋は、ここから一気に加速してゆく。
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『オンラインショップオープン』
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2009/09/12
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ここ数ヶ月、長い時間と労力を、ついやして来たオンラインショップ。今日ようやくオープン出来た。とはいっても点数も少ないし写真もベストとはいえず、まだまだこれからなんだけれど…。 オンラインショップに作品を出すことを了解してくださったアーティスト・コレクター・出版社、それ以外の関係者各位。面倒なリクエストに応じてくださったiBLABの山本さんと松川さん。本当にありがとうございました。 沢山の写真と入力作業をしてくれた田中氏と松尾氏にも感謝しつつ、2件目の店をオープンさせたような忙しさは、まだまだ続く。
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『日蝕』
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2009/07/23
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今朝、ツバメの巣の下に雛が3羽落ちていた。3羽とも東に頭を向けて。ところどころ羽が抜け翼の細い骨が見える。腐乱の状態から見て昨日、何かがあって落ちたらしい。巣は壊れていないし屍骸はあるから烏や蛇の仕業でないことは確か。 日蝕の日に一体何が、あっただろう。天体の運行が影響を与えることがあるのだろうか。 除草剤で死んだ虫を親鳥が知らずに食べさせた?親が来なくなり他のツバメに落とされた? いずれにしても雛たちは死んだ。数日ほどしかいなかった彼らに、この世界はどう映っただろう。親が運んだ餌は彼らにとって世界の切れ端だった。
ツバメの雛たち。私は騒がしく鳴き辺りを汚す、あなたたちが苦手でした。でも一度も、その死を願ったことはありません。排除しようとしたこともありません。3羽の雛たち。私の願いが叶うなら、もう一度生まれておいで。そして今度こそ、この世界を飛翔せよ。太陽のしたで山の緑を縫い、青い海原を渡る。君の、その藍黒色の翼で空を切り裂け。
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『雨の日のまかないブランチ』
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2009/07/19
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ようやく梅雨らしい日々。それはそれで好きなのだけど、やはり客足は遠のく。 で、こんな日はまかないブランチ。シェパ―ズパイを作ってみる。グラタン皿にトマトの水分を飛ばすまで炒めた(ラムはないから)ミートをひき、その上にマッシュポテトを詰めてオーブンで焼く。と、書けば簡単なのだけどマッシュポテトをつくるのは、けっこう大変でマッシャ―を壊してしまった。 そんなこんなで出来上がったシェパ―ズパイを食べてみる… ナツメグをきかせた味が美味しいともいえるけど、なんか大味。全部混ぜて衣をつけたらコロッケだよね。 美味しいイタリア料理・フランス料理の店は沢山あるけれど美味しいイギリス料理の店は知らない。だから目指すところがよく解からない。どこが味の到達点なんだろうか。まだ改良の余地、大いに有り。 もう1度つくろう、新しいマッシャ―を買ってから。マッシャ―は思い切ってムーランにしよう。もちろんフランス製。
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『両性具有のエスキース』
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2009/07/14
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DM用の作品を持って藤井肇さんと奥田きく子さんが、お越しになる。藤井さんは扉のガラス部分に油彩で描いた作品。奥田きく子さんは世にも美しいエスキ−ス。藤井さんの作品の扉に付着した埃をどうするか暫し相談。もちろん満場一致で残しておくことに決る。大急ぎで撮影。DMをつくらなければ。
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『写真を撮る』
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2009/07/13
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ネットショップの立ち上げに伴い写真の撮影に追われている。とりあえずTuscan’s のバックの販売から始めるつもり。 商品の写真を自分なりに撮ってみたものの、なんか納得いかない。知り合いのカメラマン氏にメールで送ってアドバイスを求める。 「一体、何が撮りたいのか全然伝わって来ない。フォルム?機能?この色は何色?アンタの思っているピンクってどんなピンクだ!」さんざん罵倒されながら、一つずつ問題点を改善して撮り直し、またメールで送る→ 罵倒 → ゴミ箱をけトばす → 撮り直す → メール → 罵倒 → 本棚をけトばす → 撮り直す → … よくあるモノづくりの心温まる現場に1時間くらい身を置いて、ようやく1点の商品を撮り終えた。 それでも、いまひとつの感は拭えない。 嫌いな写真撮影が、まさか仕事になるとは夢にも思わなかった。しかし、これは避けて通れない。数をこなせば、そのうち好きになるだろうか。 唯一つ光あるとすれば写真撮影は料理をすることに似ている―。
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『バルザックな夏』
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2009/07/11
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「8月の展覧会のテーマがバルザックの『セラフィタ』に決まり、以来バルザックとの格闘が続いています…」と、誰かに近況を知らせるFAXを送ったら「かっこいいんだか悪いんだか…」と返信が来た。
もちろんカッコ悪いに決まっている。
バルザックも手強いけれど、もっと嫌なのはスウェーデンボルジスム。当時のフランスにおけるスウェーデンボルジスムの流行については現在の私たちには想像出来ないほど大きいものであったらしい。特にユーゴー・ボードレール等、当時の詩人や小説家に強い影響を与えたという。その時代のムードを想像すら出来ない。 『セラフィタ』は、スウェーデンボルジスムがベースになっているから、それを掴まない限り理解出来ないというわけ。 そういえば『バベットの晩餐会』って、この北欧の神秘主義者・スウェーデンボリの教理を骨子に書かれた物語だったんだろうか。 バルザック・花火・ラム・ビール… 今年の夏も、どんどん暑くなる。
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『鷲津民子の作品』
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2009/06/18
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鷲津さんの作品が届いた。具体の元永定正氏に師事している鷲津さんの作品には、おおらかな、しかしその奥に長い時間と悲しみ。何より安易に西洋に迎合しない強い意志に満ちている、そぶりも見せずに満ちている。 例えるなら日本の妖怪たち。 土着的なものたちが石膏という奇妙なほど清潔で、しかし冷たくない。そんなマテリアルを通して現代の日本に現れた。
洗練されては、いけないのよ。
白山の静寂の中で聴いた鷲津さんの言葉を今も憶えている。
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『ツバメの巣』
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2009/06/17
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日曜日に松尾さんが、ケホケホ咳き込みながら取ってくれた、つくりかけのスズメの巣とツバメの巣。その努力も虚しく月・火の定休が明けて出てきたらツバメの巣がすっかり出来てしまっていた。 1ヶ月前に巣箱から巣立った野鳥の四十雀たち。でもスズメやツバメは最初から人間が守ってくれるのをアテにしているから、どうも苦手。 だけど、ここまでくれば仕方が無いかな…と、思っていたら造形作家の門脇さんがゴーヤの苗を持ってやってきた。 ツバメのことを相談すると「ツバメが来る家は、お金が貯まるんだよ。」と、おっしゃって当店の庭に苗を植え、先日植えたスイカの不要な芽を摘んで帰っていかれた。 そんな迷信はもちろんアテにはしないけど、教えられた通りに私が水をやりさえすれば門脇さんのゴーヤは数日中に確実に芽を出すだろう。
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『夏至間近』
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2009/06/12
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山下さんが予約してくれた店は水の、ほとりにあった。小さい橋を渡って店内に入ると、いつもの様に、もう山下さんは座っていた。 どのくらい会ってなかった? 半年ぶり位に会う私たちは前菜と飲み物を注文すると、女たちがよくするように互いの家の細々した日常のことなどを報告しあう。 メニューが進み少し酔いがまわった頃から恋の話になる。恋を詠むには短歌と俳句はどちらがむいている?虚実とり混ぜた恋をうたう歌人たちのこと。恋が文芸に及ぼす作用について話す。 エスプレッソが出てくる頃、話題は、いつか来る死のことに移っていた。スフレは思ったより甘くなかった。 店を出た街角で、じゃあねとだけ言って私たちは別れた。いつものように一度も振り向かなかった。
『凍て空にかひなのばして触るるときふるへて落つる星のひとつは』 山下好美
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『望岳苑の夜』
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2009/06/7
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光島和子展がオープンして初めての日曜日、大阪から吹きガラス作家の光島さんが来廊される。卯辰山工芸工房にも講師として訪れている光島さんが、いらっしゃるとあって県内からも多くの方が… と、思っていたら、遠く三重県から素敵な支持者の方もお越しになった。 もちろん県内の、お弟子さんや当ギャラリーの、お客様。なんとサイクリング中の造形作家の角永さんが美人2人(富山県立美術館の学芸員と松島設計事務所の方)と共に偶然とはいえ立ち寄って下さって、とても賑やかな日になる。 夕方、大阪より現代美術作家の鷲津民子さんが旦那さまと一緒にお越しになり、そのまま白峰の望岳苑へ。心地よい空間で山菜と川魚の料理をいただきワインを飲みながら鷲津さんの、お仕事の記録を見せていただく。話がつきず気がついたら午前1時をまわっていた。 作品と共に世界中を旅されているお二人も望岳苑の佇まいに感動されているご様子で、なんだかそれがとても嬉しかった。
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『まかないブランチ』
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2009/05/11
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お客様が少ない日の楽しみ、まかないブランチ。今日はチコリと円元のマスタード風味のサラダと、フレッシュバジル・トマト・ゴーダのタルティーヌ。 とはいっても仕事中だから接客になって野菜が萎れてしまうことなんかしょっちゅう。 今日も途中で電話に出ている内に焼きすぎたバゲットからチーズが滑り落ちてしまった。でも、そこはまかない。気にしない。
誰も居ないことを幸いに新緑のテラスにブランチを運ぶ。巣箱から日一日と成長しているらしい四十雀の雛たちの鳴き声が聴こえる。 ぺリエライムを一口含んだとき、なぜだろうコヤノさんに教えてもらって初めて知った中城ふみ子の短歌を思い出した。
『ヒヤシンスの花びらに風吹かせゐるかれの横顔なにも企(たく)めぬ』
『春芽ふく樹林の枝々くぐりゆきわれは愛する言ひ訳をせず』
−ともに中城ふみ子−
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『振替え休日』
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2009/05/08
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GWの振り替え休日を利用して午前中ネットショップの打ち合わせ。 山本さんの会社、IBLABが入っているビルは何だかレトロで、どこか都会の洒落たオフィスにいるような気がした。
その後、プレゼントを買いに『ギャラリー点』に伺う。今、金沢で一番バランスの良い仕事を、しているのはこちらではないだろうか。などと考え事をしながら白く塗られた階段を登る→躓く→展示台に手を突く→作品ごとひっくり返す→作家と店主に平謝りに謝る。
気を取り直して図書館に。8月の企画展の為に4時間ほど全ての詩集を漁るも収穫無し。個人的には、とても楽しい数時間であったのだけど。
『だれにも告げるな 賢者のほかは 愚衆はすぐにあざわらうから わたしは讃えるのだ その生きものを 炎に焼かれて死をねがうものを』 −ゲーテ “昇天のあこがれ”−
『鰯雲 人に告ぐべきことならず』−加藤楸邨−
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『GW終わる』
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2009/05/06
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GWも今日で終わり。今年の傾向は来場者は少ないが客単価は高かった。と白山市の観光局の担当・小林さんが、おっしゃっていた。公のイベント会場の傾向。 当ギャラリーも、そんな感じだっただろうか。 いずれにしても、まだ今シーズンは始まったばかり。来週には“コント氏のアトリエ”の撮影、DM発送。6月は光島和子展。8月は天使展。他にも女流作家展… 秋のクラフト展も、やりたい。 四十雀の親が餌を運び込んでいる。と、今日のお客様。私の知らない間にタマゴが孵ったのかしら…忙しいのは鳥たちも同じ。
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『木澤さんの珠洲焼き』
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2009/04/30
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木澤さんの作品届く。コント氏の白いアトリエに珠洲焼きの灰黒色が良く合う。“作品”とか“作家”という言葉を嫌う木澤さん。そんなスタンスの彼がつくったものは何となく尖った美しさがある。これから彼に植物を入れるプランターのようなものを、つくってもらう予定。きっとグリーンが美しく映えるだろう。
午後、M先生の模型その他も届く。
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『コント氏のアトリエ 2』
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2009/04/28
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準備を進めているクラフト中心の販売スペース、『コント氏のアトリエ』。 フランス現代思想をベースに自己の仕事を構築している建築家。そのアトリエに、もっとリアリティを。と、コント氏のモデルになった金沢在住の建築家。M先生に「ディスプレイの目的で手書きの図面をいただきたいのですが…」私の不躾な、お願いにもかかわらず「わかりましたよ。」快諾くださった。 そんな訳で今日は午前中から先生の事務所→大学の教授室→ご自宅。と、担当の藤島さんの案内で色々見せていただく。
夕方、M先生推薦の『Nコレクション展』を見る。有名建築家のドローイングコレクション展に感動する。その会場で田中さんと打ち合わせ。田中さんのおかげで31,500円儲かる。 ありがとう田中さん。
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『黒岩さんの黒い本』
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2009/04/27
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黒岩さんが『黒の迷宮から』という本を上梓され、おくって下さった。 はじめて氏にお目にかかったのは確か2003年頃、青森県庁の一室で美術館整備推進課の長として務めていらっしゃった黒岩さんは、どこか文学青年の面影を残していた。 その後、私のお気に入りの一冊、ヴォルス展の図録を編集したのが他でもない黒岩さんだと気づいた時は本当に驚いた。 私の本棚の中で“最も美しい本”と呼んでいたヴォルスの図録も、やはり黒い表紙だった。 私にとっては二冊目の黒岩さんの黒い本。 北九州市立美術館の学芸員からスタートして長く現代美術の現場を見てきた氏の案内で観る美術の世界は、きっと楽しいに違いない。 旅立つ朝の日。そんな気持ちで読み始める。
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『コント氏のアトリエ』
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2009/04/22
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20日、21日と定休日を使って店内の天井を新しく張り替えた。徹夜で作業にあたって下さった業者さんには、お疲れ様。おかげで化粧しなおしたように店が美しく明るくなりました。 ありがとうございました。
あとは、GWに間に合わせるべく新しいスペースの天井張替えの作業の終了を待つばかり。 想像上の建築家・コント氏のアトリエがテーマのクラフト中心のスペース『コント氏のアトリエ』。
ソリッド・デザインの家具、ヒマラヤンのカーペット、岩清水さんの南部鉄、等々を早く、ここに並べてみたいもの。 木澤さんは今頃お酒を飲みながら窯を見つめているのだろうか。
作品・スペースともに出来上がりが楽しみ。
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『四十雀の巣作り』
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2009/04/17
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四十雀が巣箱の中に何か運び込んでいる。 この巣箱から二年前、巣立った7羽の雛たち。その中の一羽だろう。 フェーン現象で大風吹き荒れる日。親も飛ばされそうな嵐の中、彼らは曇った空へと飛び去った。 迷い無く飛んだ雛。躊躇しながら落ちるように飛んだ雛。決心つきかね順番を越される雛。 父鳥は終始、注意を促す警戒音を発し続け、母鳥は、まるで、おにぎりを手渡すように巣立ちの間際まで飛ぼうとしている彼らの口に押し込んでいた。 未完成の巣箱の入り口を雀や山雀、大きなシメまでが代わる代わる覗き込んでいる。 去年、カフェ・ゼルコバの山雀の雛たちは巣立つ直前、青い蛇に呑まれた。巣立ちを待って雛を啄ばみに来る烏たち。 今年は、どうなることだろう。人間は、ただ祈るしかない。 四十雀の巣箱を結んである夏ツバキの新芽が日に日に開いてゆく。美しく咲いた桜や木瓜、桃の花も散って、これから山々は緑に燃える。
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『自家製アイスクリームをつくる』
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2009/04/16
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凍らせた、お菓子の種類の多さに驚いた。 昨日、高柳が彼なりの解釈で、その違いを話してくれたアイスクリームとソルべ、グラニテ、パルフェ、パルフェ・グラッセ、ムース・グラッセ、スフレ・グラッセ… いい加減、疲れて帰る。
今朝、起きてみると、やっぱり。何も覚えていない。大事なことは先ずは作ってみることでしょ。 ただ覚えているのは「作ったら必ず何を、どれだけ入れたか分量と時間をノートに書けよ。そうやって味と比較して練り上げて行くんだよ。」と、理科の先生みたいな彼の言葉と、そうやって作ったんだろうテリーヌの味だけ。
その後、アイスクリームを出す器の話になって…そこからバカラの話になって…彼の店の財産ともいえるバカラのフラワーベースを、どうして入手するに至ったか。それは一個の木の実から始まる“バカラ的わらしべ長者”ともいえる面白い話だったけれど、今朝は、それも良く覚えていない。
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『普段使いのボンジョルノ 2』
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2009/04/15
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自家製アイスクリームの勉強のためビストロ高柳。彼が仏留学中に愛用していたデロンギのアイスクリームマシンは残念なことに製造中止で入手出来なかったけれど、他メーカーの製品を最近、購入する。 ついでにボンジョルノ・ホワイトのカップを持参。 「レイノーにしろよ」と仏贔屓の高柳氏は言うけれど、予算が無いのよ。それにFIRENZEのSigonora和子 が言うには自宅で14年間愛用しているボンジョルノ・ホワイトは伊国内ではもう入手不能だとか…。ダイアナ妃が愛したレイノーも素敵だけれど。やはり私は伊の普通の家庭で愛されている厚手のジノリを選びたい。
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『普段使いのボンジョルノ』
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2009/04/07
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江川さんと待ち合わせて六本木。桜満開、毛利庭園。 目もくらむ森美術館の展覧会、“万華鏡の視覚”を見た後、違う意味で目もくらむ超高層から青山霊園の桜を愛でる。 で、同じ目線で何かを見ようとインテリアの、お店に立ち寄る。 今は東京の、お姉さんといった風情の江川さん。でも彼女、前生は寺井の九谷卸の娘だった。 風の強い日には愛車の軽が飛ばされませんように。と、錘代わりに車のトランクを茶碗で一杯にして高速道路を走っていたりしていた。 こんなものなにさ!焼きが甘い!釉薬がね…なんて散々ヒルズ中の焼き物にケチを、つけまくった彼女。最後に出口近くに山と積まれたジノリのボンジョルノ・ホワイトを見つけて「か、可愛い…普段使いだけど」。 同感。 私も、ちょうど店の食器を見直そうとしていたところ。 普段使いのボンジョルノ。普段使いのジノリ。 江川さんの見立てで決定。
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『じわがたつ』
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2009/03/19
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満開の桜に雪洞の灯かりが連なる。夜なお明るい吉原・仲之町。
中村勘三郎、演じる田舎の商人・次郎左衛門が煙管を吸っていると上手から花魁道中。見蕩れていると下手からも。花魁同士が行き違い舞台から消える。静寂が戻り、また煙管を燻らせる。ややあって舞台奥の闇の中から幻のような一行が、ゆらりとたち現れてくる。醜く蠢く異形の一団のような、それがゆっくり桜の大木を廻り眩い光の下に進み出て来て、よそみをしている次郎左衛門に、ぶつかる。坂東玉三郎、演じる花魁・八つ橋は次郎左衛門の痘痕面を一瞥し、やがて花道の七三に。一呼吸あった後、生杖にポンと手を置きなおし三つ見る。チン…トン……シャン。艶然と笑う八つ橋が見返る、その視線の先で放心した次郎左衛門が呟く「…もう帰りとう、のうなったわいなぁ。」
これは、いうまでもなく『籠釣瓶花街酔醒』の見染めの場。
この時の客の反応を演劇用語で“じわがたつ”と、いうのだろうか。一つ目の“チン”で客席からヒソヒソと声にならない、騒めきが起きる。“トン”で、それは波のうねりのように拡がり“シャン”と、きまると同時に小屋一杯、呻きに似た声が漏れる。
ご存知の通り物語はこれを、きっかけに片岡仁左衛門、演じる八つ橋の情夫(いろ)の悪計により妖刀・籠釣瓶で次郎左衛門が八つ橋を惨殺する場面まで奈落の底に転げ落ちるように進んでゆくが、まだそれを知らない約束の観客は何か不吉な予感を覚えながら身体を震わせていた。
「籠釣瓶はよく切れるなぁ。」次郎左衛門の台詞で幕が降りた後も観客は動かなかった。誰もが凄惨な殺しに共感していた。
太古の野蛮な神に胸を掴まれたような体験を次郎左衛門と共にした私たちは快楽と恐怖の境が曖昧な場所で呻いたのだった。 京都・南座でのこと。
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『Johnny Rotten, King of punk.』
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2008/12/10
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10月の上旬だったろうか。俺、パンク好きなんスよぉ。これでもヘソピー、ハナピーだったんス。あ、もちろん安全ピン。と和泉さんが言ったから、じゃあピストルズのビデオ今度あげるね。それで10年以上しまい込んでいた“The Great Rock’n Roll Swindle”を棚の奥から引っ張り出した。 1・2度しか見てないそれを、これが最後と見直してみる。この映画をつくったピストルズのマネージャー、マルコム・マクラレンも本人の役でフリークの秘書を従えて登場している。 映画としての完成度はよくわからないけれど、当時のギグの様子やメンバーのインタヴューがアニメーションも交えて撮られている。 ステージの上でツバを吐き、洟をかみ、どこかフリークのような動きで歌うジョニ―・ロットン。その一方で「民主主義には、お偉方をぶっとばす権利がある。」と、ビール片手にブラックスーツでインタビュアーに悪態をつく21歳のロットンの、その静謐な聡明さに改めて感動する。
そしてもう1本。ピストルズ1978年、最初で最後のアメリカツアーをおさめた『D・O・A』。“Swindle”が事実に見せかけたフィクションなら、こちらはピストルズを中心にしたロンドン・パンクのドキュメンタリー。そこにはピストルズの演奏の事実が…、それでも彼らは今も伝説のパンク・バンドだ。パンクのアイコン、THE SEX PISTOLS。
ダダイズムからシュールレアリスム、更にその流れの先に位置するパンク・ムーヴメント。それはマルコム・マクラレンが周到な調査を基に意図的に巻き起こしたものだと、よく知られている。その思惑通りか、それ以上か今もネットを検索すればピストルズ、とりわけ、この頃のロットンの過激なカッコよさを賞賛する声は数多い。 『D・O・A』で面白いのはUKではチケットを買う金すらないティーンエイジの代弁者として熱狂的な支持を得たピストルズをアメリカでは、それよりも裕福でアートなんかにも興味がありそうな層から注目されていたこと。
メンバー全員のビザを発行しないように米政府に圧力をかける英政府。「ピストルズに音楽的価値は無いよ。これはイギリスの政治現象だ。ここにいる連中はみんなダマされているんだ。」と音楽関係者。「どうせ金でしょう…我々は勝利しますよ。」そう断言するロンドンの議員。 「パンクは処置なしね。かつてないほど退廃的で反動的な哲学だわ。子供たちは苦しんでるのよ。」諦め顔のインテリ老婦人。パンク・ファッションに身を包み「ここにいると誰の目も気にならないの!」上気した顔で叫ぶ少女。 サン・アントニオでの公演中、ロットンの顔に客席から投げつけられたケーキが命中する。シド・ヴィシャスが、からかう男をベースで殴ったのは、その直後のことだ。 映画も終わりの頃、インタヴュアーはドラッグで意識朦朧のシドにロットンの目的は一体何なのかと尋ねる。政府転覆だろうかと。
ロンドン・パンクの創造主マルコム・マクラレンは、後に「最も汚いものが最も美しいものになった。」と自らの業績を讃え、同時に裁判でも争ったロットンを唯一、自分の予想をはるかに越える存在だったと告白している。
こうして来る日も、来る日もビデオを見続けるある日、ジョニ―・ロットン改め51歳のジョン・ライドンが、どこかのコンサートでシャツを、はだけ観客に向かって叫んだと誰かのブログに見つけた。
「オレの、このビール腹を愛せ!」
Johnny Rotten, King of punk. …あぁジョニ―全て了解。パンクとはカッコイイことでは無いのですね。パンクとは他者との差異を認めること。そして何ものも矯正しようとしないこと。 和泉さんが、俺。パンク好きなんスよぉ。と言ってから、もう何日経ったんだろう。今年も、もう暮れてゆく。
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『浮世絵を調べる』
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2007/04/03
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4月3日 お預かりの浮世絵草子を金沢美大のO教授に見ていただき、次のようなことを教えていただいた。
絵師: 広貞 版元: 錦鯱堂 川音 池吉 (教授指摘: 複数の版元があるのは不思議) 極印: なし (教授指摘: なぜないのだろう) 内容: ・開くと3枚続きのものや4枚続きのものがある (教授指摘: 普通はない)・4つの演目が描かれている 演目の段も飛んでいる良いとこ取り (教授指摘: 普通はない) 表紙: 後遍 の文字が見える (教授指摘: 前遍があるはず) 筆で書かれている文字について: 嘉永五年 とあるが制作年はもっと前のはず・文字の細い線が気になる
コメント: ・浮世絵の制作過程の基礎知識を身につけよ ・売り物ではなかったのではないか ・同じ図柄の浮世絵を探す必要あり ・演目を調べる必要あり ・役者の名前を調べる必要あり(良いとこ取りの理由として1人の役者 の贔屓だった可能性あり) ・版元の内容を調べよ ・上方浮世絵についてはあまり研究が進んでいないので調べるには良い材料だと思う ・いくつかの不思議な点があるが非常に面白いものを見せていただいた印象あり ・以上の点を調べ結論よりも判断材料を集めることが必要
*** 依頼者にさっそく連絡しなければ。
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『半蔵門界隈』
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2007/01/09
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ここ数年、東京での商用は赤坂見附付近が多い。いつもは日帰りと決めている。でも、見たい美術展などがあると一泊することもある。 銀座・青山、最近では神楽坂なんていう街の名前にも胸が躍るけれど、宿泊となれば50代後半以上の男たちが幸せそうな街を選ぶ。それ位の年齢の男はもうあまり多くを望まないようだ。彼等が幸せを感じる街は酒と食事が旨くて、優しい女がいるところ。と、相場が決まっている。
大テーブルでは数人の男たちが、プロデューサーのあり方について熱い議論をしている。別のテーブルでは年配のカップルが人生論を戦わせている。そんな半蔵門の居酒屋で、“新宿海釣り愛好会”のメンバーに協力を得ているという新鮮な刺身。それをツマミに田酒の夕食を終えた後、黒塗りの車で帰宅する外国人の老紳士などを見ながら麹町付近を散歩。酔いが醒めた頃ホテルのバーに入る。 以前、業界で有名な老バーテンダーがやっていた店は、今ではホテル内のレイアウト変更で中華料理屋の奥に押しやられ、胸に大石とネームを付けた男がシェーカーを振っている。アルマニャックをカウンターで待っていると、隣に何人かの新しい客が座った。ボックスには近所の予約制の蕎麦屋の女将が座り、店内が一杯になった。 カクテルのオーダーを聞くたびに、大石さんは必ず少し考え「かしこまりました。」と忙しそうにつくり出す。その様子から名バーテンダーが去った後、ホテルマン・大石さんがこの妙なレイアウトのバーに配属され、かなりの努力をしたのだろうと、そんなことを想像した。 シェイクし、ステアして次々と何種類ものカクテルをサーブしてゆく大石さん。そして、ドライ・マティーニに彼がレモンをピールし終わった瞬間、どこからか「あなたの体の動きは天下一品だねぇ。」と、声が掛かった。まったくその通り― 私もそう掛けたかったが、もう既に声が出ない。 「お足元が危うございますよ。」大石さんの言葉に送られて部屋に帰る。
翌日、表の喫茶店で遅いモーニング。頭に包帯を巻いた80前後の男が入ってきた。「どーしたのぉ。」店の女たちが叫ぶ。「夜中に絨毯で躓いちゃってさぁ…」「床には何もしいちゃいけないのよ。」ブラシで包帯からはみ出た男の薄い髪を梳かしながら女が言った。「要介護1が来ちゃったヨォ。」「仕方無いわよ、しょうがない。」「地下鉄も電車も怖くってねぇ。」「だからこの辺りに引越して来なさいって前から言ってるでしょ。」女は髪を梳かし続けている。 もう1人の店の女はカウンターで朝食を食べている。「あたし卵ダメなのよね、昔の卵って臭かったでしょう。」横に座る客の男が新聞から顔を上げ黙って頷いた。
さて今日は赤坂見附まで歩こうか、仕事を済ませたらそのまま表参道まで歩いていこう。幸い空は晴れてるし一泊だけの私の荷物は、まだあんまり重くない。
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『BLUE CAKEの縄文展』
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2006/12/26
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「よろしくね。」そう言って、みくに龍翔館の館長・上出さんと女性スタッフの方々が差し出してくれた水羊羹を受け取ってから数日経った今日。私はその水羊羹を名物としている福井県の三国町を訪れた。画家・小野忠弘が長く住み今はご遺族の好意により“小野メモリアル館”として町が運営する通称“BLUE CAKE”。ここで当店が開催した縄文展と似たような展を、とお話があり今日が2回目の打ち合わせ。
でもまずはランチ。これから館の実質的な運営にあたっていくという高倉さんと共に上出さんの車に乗り込み“Sogno-Poli” という海のそばのイタリアンに案内していただく。 誰かの別荘だった店内で、冬枯れの木立を眺めながら上出さんが自身のブログでも紹介していたセイコガ二のパスタコースをいただく。木の質感が優しい室内とテーブルセッティング・生けられた花。何もかもがセンス良く、それらをプロデュースしているらしい女性もとても魅力的。 次に案内していただいた“砂や”は森岡さんというドイツに長くお住まいだった女性が経営されているカフェでもあるギャラリー。あるニューヨーク在住の日本人アーティストを紹介し続けているのだと熱く語って下さった。「北前船の時代を再現出来ないものかしら… 今、福井では三国が一番熱いと思うの。」いくつもの夢を熱心に話す彼女を上出さんと高倉さんが微笑みながら見守っている。
ああ、なるほど、彼等の仕事はこういうことね。
人口約2万人の三国町。その中でそれぞれのやり方で文化的な活動をしている人達が多くいる。皆が胸を夢で膨らませて。そういえば私が今ここにいるのも思えば「やりたいこと一杯あるんですよ。」と、上出さんに言ったその時から始まっていたのかもしれない。
「ここにね。」と、上出さんが窓際の黒い椅子を展示台に見立てて壁の前に置いた。今日の目的地“BLUE CAKE”の内部は以前あった子供達の絵が取り外されて横15メートル高さ5メートルの真っ白い壁になっていた。向いには一面に小野忠弘の複数の作品。何度かここを訪れているはずなのに以前より壁と壁の間が広く感じられる。 「壁にも板を取り付けてここにも土器を置く予定です。」高倉さんが手を壁に添える。少し離れて見ていた私はふいに不思議な感覚に襲われた。それはまるで上田正治の砂丘シリーズの写真を眺めたときの感覚。遠近感が少し狂ったような、それから浮遊感。…カチリと自分の中のスイッチが入った。
これはきっと素晴らしい展になるだろう。いや、そうしなければ。 ここに置かれる縄文土器・小野忠弘の作品・宗左近の詩集、そしてその中を飛び交う言葉言葉言葉。 それまで彼等の背後にアートディレクターの戸田正寿さんがいらっしゃるから、あまりでしゃばってはいけないと、ずっと思うでもなく思っていたけれど … もうどうでもいいや、そんなこと。 だってSogno-Poli があるんだもの私にも、たとえ多くのdifficoltaがあったとしても。
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『冬の夜に』
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2006/11/13
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詩人の伊藤三佐子さんのご家族からお礼の葉書をいただいた。
人はしばしば本当に好きなものに対してなにも言わないもので、私も伊藤さんの作品についてほとんど何も言わなかった。 伊藤さんが紡いだ言葉。それに対座し、その余韻に浸るだけで他になにもいらない気がしていた。 ただ、若くして急逝した彼女があと20年生きていたらどんな作品をつくっただろうか。夜も長くなったこの頃はそんなことを考えながら伊藤さんの作品を通じ、彼女と会話することが多い。
冬の星さりさり海を食べている
のみほすと底が私を見ていた
ひまわり だった あなたの影
さくら 空の骨が散る
耳 閉じることのない海
魂はいつか空になるつぼみ
青空が口まであふれている
―すべて伊藤三佐子―
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『二塚長生展』
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2006/11/06
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富山といえばとても男女平等が進んでいる地域。今日はその富山県・高岡市出身の友禅作家・二塚長生の個展会場を訪れた。
加賀友禅は写実的な草花模様。という思い込みが強かった私にはとても新鮮な作風で、心の中が明るくなる。 「自然から学ぶのが好きなんですよ。」と言う作家が、波・潮・滝・雲・雨・虹・光・霧… と、糸目糊置き技法で自然現象を表現した作品を前にしていると芭蕉の句が浮かんできた。
荒海や佐渡によこたふ天の川
つまり身近な花や鳥でなく非人称の大きな力を詠った芭蕉の、その背後にあるアミニズムをこれらの作品からも感じたのだ。
一声の江に横たふや時鳥
「時おり描く鳥や魚は、風や空間の存在を強めるため。」作家の説明にも納得できる。
作り手の多くは男性で、着る者の多くは女性と思われる加賀友禅。
東洋の古くからの美学の中心材料だった『花・鳥』。江戸の『雪・月・花』。明治の終わり、西洋から入ってきて浪漫主義と折り合いの悪かった自然主義、そして花鳥風月。このような美意識の流れが時代、時代の女性観に影響を与えているとは考えられないだろうか。
二塚長生の作品は、古い美学に囚われず自然のひとかけらである自分自身の内なる声に従って生きよ。と、女たちに囁いている。
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『Uさんの話』
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2006/11/01
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Uさんと金沢市内のイタリア料理店で久しぶりの食事。 いつもUさんにあうときは、彼女が「ふぅーん…」と言ってくれるような面白い話をしようと思っているけど、某国立大学で心理学を学び裁判所の職員としても働いていた才女を楽しませることはなかなか難しい。 今回も、私が持参した『墓石倒れる』の話は彼女の『三回忌』の前に完敗。 “モミ手男”の登場から科学者のご主人と、手をとり合って逃げるノンフィクションは、百間を彷彿とさせるストーリーだった。 こんなことは、宗左近本人から聞いた『修二会の話』以来の衝撃。 Uさん、その話ぜひ書いて。誰よりも私が読みたい。
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『ある夜の弘前』
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2006/08/21
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なんとなく憶えておきたい食事の風景はあるものだ。
飲み仲間のM医師がよく言ってた。美味しい食事をすることの難しさを。@悩み事がなく A健康で B好きな相手と一緒 この3つの条件を満たさないと真に美味しい食事にはならない。 だから一生の中で数えるほどの宝物のようなその日、シェフの腕が力不足だったりお酒が適温でなかったりすると、テーブルをひっくり返したくなるほど悲しい―。
で、この夜が3つの条件を満たしていたかどうかは別として、サーブされた料理とお酒は“宝物のような日”に選んでも余ると思えた。
そう感じた時にはお酒のラベルをいただいて帰りその裏に店名やメニューを書いておく。飲んだワインのブーケを思い出せば、料理の味、その日集ったメンツや店の佇まい、街の雑踏まで思い出せるから。ついでに印象に残った会話なんかもメモしておこう。
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Osteria Enoteca DA SASINO にて 雨/自家製生ハムのサラダ・旬のトマトの冷たいスープ・猪のタリアーノ・チョコレートの温かいスフォルマティーノ ミント風味のジェラート添え * ― レンブラント・ライティングというのがあってね ― もちろん意識してますよ 光に溢れたのが一枚ある * ― 190℃で6分 AMEDEIのチョコレートです ― ココットは金属ですよね ― ええ どうしてもそうなりますね * ― 山を登っていたら岩が落ちてきて 前を登る人が飛ばされそうになった それを助けようとしたら自分も飛ばされた ― 義務の反対語は愛だと思うの ― 愛なんて言葉 気恥ずかしくて使えないけど… やっぱりパッショ ンがないとね
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『青森にて』
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2006/08/21
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再現されたタテ穴住居の内部には、ひんやりとした空気が沈んでいた。外は気温34℃。三内丸山遺跡の中、汗をかきながら歩いてきた体が軽くなるのがわかる。 縄文時代、人々はこんな快適な暮らしをしていたのだろうか。 土の床の細かく滑らかな凹凸を、入口からの僅かな光が土のもつ柔らかな質感を更に強調して奇妙なほど清潔に見える。まるで土、それ自体が密やかに発光しているようだ。
午前中訪れた青森県立美術館。その内部には、建築家がこの遺跡からインスピレーションを得たという土の床や壁が、館のおさえ気味のライトに柔らかく光っていた。
日本の住居からはずっと昔に排除された土の床を、湿度と室温の調整を最も重要視する公立の美術館が、こんな形で取り入れたことの意義は大きい気がする。土の材質や基礎の仕組みについては雑誌等から知ることが出来る。しかし幾つもあっただろう難関を全てクリアし、この美術館を現実につくったことに、挑戦と優しさを同時に感じる。
その印象は来場者に縄文という時代。身分の差や権力がなかった時代。つまり排除することもされることもなかった時代のイメージを穏やかに伝えているとも受け取れた。
タテ穴住居を出る。また34℃の熱風に吹きつけられて汗が流れ落ちてくる。縄文から現代に戻るその歪みが、唐突に私の頭に誰かの言葉を思い出させた。 「文章とはなんぞや。文体はあっても思想がないとダメ。」 この言葉はそのまま色々な場面・場所に置き換えられるように思う。 もちろん美術館にも。
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『シテ島・鳥の市にて』
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2006/02/19
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写真の整理をしていたら、昨年の旅行で撮ったものが出てきた。 パリでの一枚。 パリは難解な街だった。ディティールは妙にクリア、でも見渡そうとすると眩暈に襲われる街。大きい塔の下を小さい塔がそぞろ歩く街。
日曜日のシテ島・鳥の市では鳥がこの街を読み解くヒントに思えた。 フランス人にとって、鳥は非常に重要らしい。家禽の呼び名がそれを証明している。
私にとって鳥は江戸的なもの。鷺娘・雁金・都鳥・百千鳥・吉原雀・鳥刺し… 舞踊の曲目がそんな連想を生むのかもしれない。
シャッターを切りながら、日本にも鳥を愛する詩人がいることを思い出した。
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『樂翠亭の壁』
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2006/01/24
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富山県の春日温泉で雅樂倶を営む千田さんと石崎さんご兄弟。お二人のお招きで戦後のお屋敷を改築した『樂翠亭』へ伺う。こちらは“オーベルジュ”と、呼んでいいだろう。
まずは雪降り積もるお庭を眺めながらお茶を一服。部屋を移して冬の富山の幸をいただく。日本料理と仏料理を融合させたメニューの数々。 客を緊張させないサービスには「全然たいしたことないんですよ」と、謙虚に微笑むお二人の、もてなしに対する真摯な姿勢がうかがえる。 程好く酔いが回った頃、もうすぐロンドンへ留学する由衣さんが、亭内を案内して下さった。客室は何れも心地良い和風モダン。また、以前の持ち主の奥様自作のガラス絵、綿貫さんも感心したという欄間など随所に家と郷土の歴史を尊重した気配りが見える。
廊下の途中に美しい壁があった、まるで水滴が落ちた瞬間を凍らせたような塗りっぱなしの左官壁。オーナーの石崎さんが工事の途中、気に入って作業を中断させたという。なるほど、“欠損の美”ね。 その壁に滝口修造を生んだモダン・アートの地、富山県の戦後美術の一断面を見た気がした。新しいとはこうあるべきだろう。富山のモダンは県民性を反映して、優しさを礎にしている。
ぜひ、次は雅樂倶へ。アーティスト達と共に建てたリトリートを訪れてみたい。金沢への帰路はいつもより近く感じられた。
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『コクトーの予言』
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2006/01/20
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いつだったか調べものがあって、図書館で古い新聞記事を漁っていたとき偶然目にしたジャン・コクトーのインタビュー。 “なぜ日本はアニメーションの輸出をしないんだろう。その伝統があるのに。”そんな趣旨の言葉だった。昭和の初めに来日した折の記事だったように記憶している。 それから約80年の歳月が流れ、現在日本のアニメーションは海外で高く評価されている。サブカルチャーと美術の世界を軽々と行き来する日本のアーティスト達も人気だ。 コクトーの先見の眼には“予言”という言葉も大げさで無い気がする。 昨年末から今年にかけて金沢市内のデパートで開催されていた『北斎と広重展』の会場でそんなことを思った。
写真:ポンピドゥー・センターよりパリの街を望む
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『花のような女(ひと)』
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2005/11/19
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今年も年末、慌しいばかりで過ぎてゆこうとしている。このダイアリーもまったく更新できなかったなぁ。 一年の出来事を思い返しても、どれもぼんやり。しいていえば年頭の旅行くらいかしら。 大寒のパリ、美術館で掃除していた女性のこと。 セピアの肌に空色(パウダー・ブルーっていうのでしょうか)の作業着、漆黒の髪にも服と同じ色の髪留め。思わず見惚れた。 イタリア・フランス、どちらも見所は多いけれど女性を見るのも楽しみの一つだろう。 とりわけ色に対する殆ど執着といえるほどのこだわり、尊敬するのは彼女たちの無心。ただひたすら色・形そして質感を合わせようとする、そんな姿勢に誰かが見惚れる。 世界に名だたる美術館、オルセー。収蔵された美術品の数々。そのどれにも負けない無心さで、花のように彼女はいた。 もうすぐクリスマス。彼女にも私にも、みんなに良い季節でありますように。
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『ホット・チョコレート』
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2005/05/13
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今月から新メニューに加えたホット・チョコレートが以外に好評で嬉しい。 今年の2月、ミラノのブレラ美術館前のバールではじめて飲んでその濃厚な味に驚いた。フランスでは“ショコラ・ショー ”と呼ばれているらしいこの飲み物をとてもヨーロッパ的だと感じるのは私だけではないみたい。
嗜好品は他にも色々あるけれど、お酒・煙草は宗教的な意味合いが強くてコーヒー・紅茶はより大衆的なものに思えるなぁ。 サヴァランが「神経を緊張させる仕事、… 特に旅行者にはよろしい」と書き残し、カサノヴァがシャンパンがわりに飲むと噂され、森茉莉が賛美したチョコレート。
ミラノだけでなくフィレンツェ・ヴェネツィア・パリ、どの都市でもカカオに対する熱愛ぶりが伺えた。つまんで食べる小さなチョコレートも美味だけど、こうして飲む熱いチョコレートにはヨーロッパの宮廷文化が垣間見える。
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『ひがし 山屋』
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2005/01/08
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20代後半、毎週のように通ったひがしの茶屋街。 “山屋”で紅茶を飲んだり“中むら”で芸妓さんの踊りを観たり。NY在住の故 中村喜春さんのお話を聴いたのは“山とみ”ではなかったかしら。新内の会のときは市長も奥様と着流しで楽しんでいらっしゃった…。
今日は“山屋”ご夫妻に夕食に招かれて久しぶりに訪れた。
はじめて食べるご主人・正人さんの特製おでん、変わらない啓子さんのお料理、どちらも予想通りとっても美味しくてビール・地下のカーヴで眠っていたカヴァへと飲み進む。
名妓・綱次はこちらの亡くなったおかあさん。全国にご贔屓がいたらしい。そのまた先代の妹・寿美子は横笛の名手として勲章を授与されている。名取り名は藤舎秀寿。 噂を聞きつけてアメリカからやって来たボストンの美術館の学芸員に啓子さんは快く蔵を公開し、着物や帯・写真等を貸し出した。
伝統の、行政では守りきれない部分を守り、こんなふうに紹介している人達がいる。古い建物ゆえの苦労もあるだろう、でもそれに何とか折り合いをつけてその中で生活をする。それがこの夫婦が選んだスタイル。
食事が終わると正人さんがショットグラスでCELTICをストレートで勧めてくださった。舐めるようにして飲むとMACALLANと同じ、芳醇で深いオロロソ香が口一杯に広がる。長い長い味わいの余韻。
街がどんなに変わっても“山屋”は変わらない。部屋に飾られた絵も家具もこの家が建てられた1820年当時からそこにあるように皆、居心地よさそうにしている。
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『開演を待つ』
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2004/10/29
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弟夫婦に誘われて“一石仙人”を観にきた。アインシュタインの理論を題材にした新作能。と、いっても決まり事はきっちり守ってあって、5歳の頃からお仕舞いを習っている弟嫁の珠美さんに言わせると「きわめて古典的」らしい。謡も楽しみ。昔から邦楽全般好きだけど謡にはあまり縁がなかったなぁ。 邦楽のことを考えるとき思い出すのは友人Nの話だ。NがNYの美術館で見た手水鉢のようなものから水が滴り落ちる作品(?)で聴いたリズム。ポタン…ポタン…ポタン ではなく ポタン…ポタポタ…ポタン でもなく ポタン...........ポタ...................................ポタン...という水の音にしばし寛ぎ、「こんな不規則さをノイズではなく情緒的なリズムと捕らえる日本人の感覚を非常に稀だと自覚した。」と話してくれたっけ。 それぞれの民族が持っているリズムがあるとしたら日本のそれは独自ってことね。その上に成立する舞踊も。幕末を境に邦楽は特別なものになってしまったけれど…。 そんなこと考えながら開演を待っている。
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『10月9日 雨』
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2004/10/21
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立木祥一郎という名前を知ったのは10年くらい前。芸術家・故小野忠弘氏が「立木くんがね 立木くんがね」と、幼い少年が尊敬する近所のお兄ちゃんを慕うようにその名前を呼んでいたのが昨日のことのようだ。私も含め、周囲の人間に次々と絶交を叩きつけることで有名な小野氏だったが当時まだ31・2歳の若い学芸員に80半ばの老芸術家は強く惹かれていた。
その立木祥一郎氏、当ギャラリーに再来廊。
約一年ぶりの再会だが私たちは挨拶もせず、仕事に関する思いつく限りの話題を際限なく交わす。会話の中で時折、彼は私のささやかな希望や願いを生真面目に打ち砕き、私はその度に新しい視点を得る。 私がアートの世界から脱落する可能性は極めて高く、彼が誰かの罠に落ちて失脚することも有り得る。だけどそんなこと気にする暇もなく二人とも自分自身に追われているのだ。
やがて時が過ぎ、彼は彼の仲間の元に帰った。「生き残れ」の一言を私に残して。
小野氏は結局最後まで「立木くんがね 立木くんがね」と、言いながら死んだ。彼の電話番号を自室の机の上に残して。
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『富山県水墨画美術館の春草』
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2004/09/07
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サライでも紹介された水墨画美術館に『院展を築いた4人の巨匠展』を見に行く。で、すっかり菱田春草のファンになった。一目惚れをフランスでは“雷の一撃”と、いうそうだけど正にそんな感じ。学生時代に描いた慈姑のデッサンにもパンキッシュなものを感じる。 春草の画にはこちらの理性を失わせる何かがある。似たような印象のものを他に挙げてみると…、例えば法隆寺。口では言えない悪いことを沢山しておきながら、微塵も心を揺らさずどこまでも清楚に微笑む貴婦人のような寺。そんな風に感じるのは私だけかしら。今昔物語の女たち。 長唄・娘道成寺で白拍子花子が恋人の裏切りを思い出し、蛇に変わる瞬間。 やっぱりこんなのが私の好みなのね。上品さと優雅さの底に狂気を孕んだものが。でも、春草の画の何を見て私はそう思うのか。モチーフ?構図?色?うーん。今はまだ解らないなぁ。 直感ばかりで理論に弱い自分を再認識させてくれた春草だった。
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『黒部峡谷にて』
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2004/08/23
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8月の企画、三浦泉展の合間を縫って気分転換で黒部にドライブ。トロッコ電車から黒部川を眺めると先日の大雨で流された巨木が点々と残されている。終点の欅平で降りるも国土交通省のおじさんたちが大勢で破損した道路を直していて封鎖。仕方ない、鐘釣まで戻って温泉が湧き出ている河原にでも行こうか。 そして鐘釣の河原に下りてみると…あっ、こっこれはっ! 小野先生の作品じゃないのー? 川の巨大な岩に何本も流木が引っかかり、まるでモニュメントみたい。観光客たちが嬉しそうにその前で記念撮影している。 はい先生、10月の小野忠弘展がんばります。もうそろそろ準備に取り掛かろう。
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『軽井沢での句会』
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2004/07/12
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2ヶ月に一度の句会。いつもは東京だけど今回は気分を変えて軽井沢。 場所につられて一年ぶりに参加する。会場に行く途中、旧軽の脇田和美術館に立ち寄った。脇田家は元々加賀藩に仕えた家だから金沢に住む私としては興味がある。上品で洒落た画風を見ると国立美術館に所蔵され、女性ファンが多いのも頷ける。緑溢れる中庭には鳥籠が木に幾つか吊るされていて鳥を愛する画家の人となりがうかがえた。
さて、軽井沢銀座の蕎麦屋。鴨などの料理をつまみにお酒を飲みながら会が始まる。いつもの通り初っ端から宗先生はぬるかん。お元気そうだ。 「つまんない感想ね!」とか「なんだこれ。取り合わせの拙い見本だね。」などと温かい声が飛び交う中無事、句会終了。「2次会は三善先生の山荘ですよー。」との声に私は慌てて飲み残したビールを飲んだけれど、この時はまだ、18時間後に同じこの店で今夜以上の大宴会に参加するとは知る由も無かった。 あぁ、脇田和が消えてゆく。
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『ゼウスの国から帰る』
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2004/06/26
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サンタモニカの海岸を最後にアメリカから帰る。関空に着いて“はるか”の車窓からぼんやり大阪の町並みを眺める。夕方の暗い空から小雨が降っている。見慣れた日本の風景が今までと違って見えるのは気のせいかしら…日本ってこんな国だったっけ。なんだかアメリカに似ている。
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『ノートン・サイモン美術館のドガ』
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2004/06/24
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旅も後半になり、さすがに少し疲れて大きな美術館はちょっと辛いなぁ。と、思っていたらパサディナのノートン・サイモン美術館に連れてってもらった。規模は比較的小さいながら一人の収集家のコレクションを見るのは作品の楽しみプラス私生活の一端を覗くような密かな楽しみがある。ロダンの“カレーの市民”を見ながら入館すると、メトロポリタン美術館にもあるドガ作のバレエ衣装を着た踊り子のブロンズがあった。ノートンさんはドガの収集家でもあるのね。ドガだけの部屋、ドガのブロンズも沢山ある。ショップにもドガの本が何種類もある。 もちろんセザンヌやピカソなど巨匠の傑作もいっぱいあるけど…。 ドガの展覧会ってあまり日本では見られない気がする。北斎に大きな影響を受けていた作家だから、日本でやるなら“ドガと北斎展”なんていうのをどこかの美術館が企画してくれないかしら。 それにしてもスーツ姿の監視員が多いなぁ。こちらにきてアロハとサンダルの人間ばっかり見てきたからすごく新鮮。スーツの似合うノートン・サイモン美術館だった。
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『ベラッジオのモネ展』
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2004/06/22
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北イタリアの湖畔がコンセプトのラスベガスの高級ホテル、ベラッジオでモネ展が開催されていた。よく知られている通り、大規模な噴水アトラクション、大量の水を舞台に出現させて生命の誕生を描いたショー“O”で有名なホテル。ガラス張りの室内にも花に囲まれた噴水が造られている。水と光がテーマなのね。 そんな場所にモネ展とは…LAから5時間の、延々砂漠が続く中に忽然と現れた街、ラスベガスで見るモネは、なんだか妙に懐かしく、水を求める人間の本能に直接訴えてくる。こんな試みは公立の美術館でも出来ない気がした。
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『ゲティ・センターのルノアール』
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2004/06/18
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「私、ここの絵の中でルノアールが一番好き。」と、良美さんが言った。パンフレットによるとここサンタモニカのゲティ・センターでは天窓からの天空光をコンピューター管理して照明にしているらしい。季節や時刻に合わせて人工照明も併用し、来場者がかつての画家と同じ光の下で鑑賞できるようにとの配慮から。 その為か名画の中でもルノアールの作品が際立って見える。“Albert Cahen d’Anvers”のベルベットらしい服地の色と瞳の色、壁紙に描かれた植物・椅子の模様がそれぞれ調和しながら互いを引き立たせ、宝石のような深い光を放っていて画家の意図が良くわかる。私はルノアールの良い鑑賞者ではないけど見惚れてしまった。でもレンブラントとかバロックの作品にはこの光は少し可哀想。ゲティ・センターの印象派の作品たちはとても幸せそうだ。
写真:ゲティー・センター見学案内より
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『リストランテ DORAGO』
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2004/06/17
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有名人も訪れるらしいビバリー・ヒルズのイタリアン、DORAGOでは木目のシックな店内に明るい抽象画が何枚も連作で飾られていた。ベースのオレンジが暗い店内に浮かび上がりイタリアらしいムードを演出している。オレンジはイタリア人の好む色。黄色っぽい大地に良く合うからかしら。でもここの大地は赤茶けているからDORAGOの絵はイタリアのそれよりも濃いオレンジ。絵と花で飾られた店内を大柄なウエイター達が大声で注文をとり、冗談を飛ばしながら歩き回っている。 私たちはトスカーナの赤とそれに合う前菜・ニョッキやステーキを注文した。満席の客たちもゆっくりメニューを決めている。勧められたキアンティは充分飲み頃だった。
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『ゼウスの国』
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2004/06/17
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アメリカのLAに行く。移動中の飛行機の中で読んだ本にゲーテの『プロメテウスの歌』が、載っていた。“ゼウスよ、お前の空を 雲霧でおおえ、薊の花をむしる子供のように 樫の木や山の頂に電雷を投げつけてお前は力試しをするがよい。”という書き出しで始まるその詩にいたく感動し、眠って起きて機内食を食べて、また眠って起きるとそこはアメリカだった。ぼんやりした頭にまだゲーテが残っていて、生まれて初めて見るアメリカは私にとってすっかり『ゼウスの国』になった。
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『ダダの女(ひと)』
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2004/06/10
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今日はグループホームにいるおばあちゃんのところへ久しぶりに行った。家でおばあちゃんが「金も無ければ死にたくも無し」とか、「死ぬほど楽は無いものを生きて働くたわけ者」とか、日に50回近く繰り返していたことも今となっては懐かしいわ。 いつものことだけど、私が百人一首の上の句を読むとおばあちゃんが下の句を読む。ほとんど暗記している。帰りに「いにしえの…」と声を掛けると「いにしえの奈良の都の八重桜 そこのけそこのけお馬が通る」と、返してきた。 若い頃はモラリストだったのに、今では国や家族から切り離され自分の意識からの統制も逃れて、直感的で感情的で…とにかく立派なダダイストになった。やっぱり長生きはしてみるものね。
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『オリーブ』
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2004/06/03
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今日もオリーブの塩漬けを買ってしまった。最近なんでこんなにオリーブ好きになったんだろう。元々、辛口白のツマミとしては気に入ってたけどおやつにまで食べるとはね。 でもノアが洪水引いたかどうか調べるのに飛ばした鳩がくわえてきたのがオリーブの若葉なんだから人間との関わりは深いのよね。きっと。 そういえば、パルテノン神殿の図柄にもアテナ女神が海神ポセイドンと争う場面があったっけ。そのときアテナが出現させたのがオリーブの樹、ポセイドンが塩水池。アテナイ市民がオリーブを選んで勝者が決まったって解説にあったなぁ。アテナイ市民のジャッジは正しいよね。私もオリーブに一票。 アダムとイブが前を隠したのも…あ、あれはイチジクの葉か。うーん。やっぱりコニャックには乾燥イチジクだよね。あぁ… またツマミに戻ってしまった。
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